明治時代中期手描き輸出用花札
明治時代中期手描き輸出用花札

花札は、江戸時代前期、元禄年間頃までに成立した「花合せかるた」に始まります。

「花合せかるた」は、当時の人々の花鳥風月のイメージに添って作られた、百種類、四百枚の草花図鑑のようなかるたで、その遊技は上流階級の女性たちに好まれました。

これが大部に過ぎるので、十二種類(紋標)、四十八枚構成のコンパクトなものが作られるようになり、江戸時代中期に木版の「武蔵野」が売り出されて一般の女性たちも手にできる遊技具になりました。

明治年間になると「八八花札」の遊技が男性の間でも大流行し、広く全国各地方、海外にまでに普及して、「花札は国民娯楽の王者」と言われました。

昭和後期には国民娯楽の多様化によって人気が陰りましたが、平成年間になるとだれでも好きに制作することが許されるようになり、「平成自由花札」の新しい世界が開かれました。

長い歴史の伝統花札の世界をご案内します。


1花合せ(江戸前期~江戸後期)

2武蔵野(江戸中期~明治中期)

3地方花札(江戸時代末期~昭和後期)

4解禁期花札(明治中期)

5八八花札(明治後期~昭和前期)

6八八花札(昭和後期)

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