6-3 開国後の日本で外国人の眼に映じた日本のカルタ 九 C.M.ベルショー ベルショー『花札』表紙 C.M.ベルショー(C.M.Belshaw)は、パーマーと同時期に横浜に滞在していた人であり、パーマーの報告の一年後...
6-1 江戸かるた文化の残照 四 「西洋かるた」の登場 幕末の開国以後に、外国のカルタが流入してきた。神戸や横浜の外国人居留地は治外法権地域であり日本の警察権が及ばず、遊郭では遊女も賭博に親しみ、...
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (二)釣り取る相手を選ぶ遊技法の登場 日本の遊技文化の歴史を見ると、新しい遊技が登場して古い遊技を凌いでいく過程は、何か大事件があって古い遊技が断絶して一挙に交代する革命劇が起き...
四 花札の遊技法とその意味するところ (一)花札の遊技法 花合せかるたは、花の種類が百種で四百枚構成のもの、五十三種で二百十二枚構成のもの、二十五種で百枚構成のもの、十二種で四十八枚構成のものなどが...
四 「うんすんカルタ」の文献史料 (三)わずかな手がかりを残す「神戸村文書」 不明な点の多いうんすんカルタの歴史の中で、特に困惑するのは、江戸時代後期(1789~1854)、幕末期(1854~67)の歴史史料が存在しな...
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (一)戦後社会での「いろはかるた」の展開 昭和後期(1945~89)の日本社会ではカルタ文化は大きく様相を変えた。まず、「いろはかるた」では、伝統的な「犬棒かるた」の人気が低調になる...