1-2 鎖国日本への来訪者が見た日本のカルタ 六 フィッセル(Johan Frederik van Overmeer Fisscher) ブロンホフに次いで日本の文化をヨーロッパに紹介したのはオランダ商館員でブロンホフの部下であったヨハン・フレデリク・ファン・オーフェルメール・...
一 「譬え合せかるた」と「道斎かるた」 (二)道斎かるたの前身「譬え合せかるた」 こうした「譬え合せかるた」の内容の変遷を示すために、その内容を比較しておきたい。 まず、江戸時代中期(1704~89)の手描き「譬え合せ...
6-1 江戸かるた文化の残照 三 いろはかるた類の興亡 「ローマ字入りいろはかるた」 (制作者不明、明治初年) 幕末期から明治初年にかけては、江戸で製作されて流行した木版画の「いろはかるた」類では...
一 歴史から消えた「ことば遊びかるた」 (一)鈴木棠三、森田誠吾の「いろは地口かるた」見落とし 斎藤月岑自画像 この文章を、歴史から消えた一つの史料の復元に絡む個人的な研究過程の回顧から始めることをお許し頂きたい。江戸時代末期の文筆家、...
五 かるた、カルタ史研究の高まり (五)児童遊戯史研究、玩具史研究におけるかるた史の軽視 さらに、こうした民俗学の偏向に影響されているのか、遊戯史、玩具史においてもかるたに関する研究が少ない。ここでは二例についてだけ触れておこう。...