今日の中国ではこの説は比較的に軽視されているが日本では有力な理由のひとつは、まさにこれと思われる牌が中村徳三郎『麻雀競技法』[1]の口絵に掲載されていることである。これ有る限り、太平天国起源説は単なる伝説では終わらない。
この牌は、索子のデザインが「竹の葉」で万子は「万」の字である。「一索」は揺れ動いているチンフー(青蚨)タイプである。こうした特徴を備えているものとしては『月刊プロマージャン』誌平成九年(1997)六月号で紹介した初期の紙麻雀がある。これは、牌の全体が墨色の単色で刷られた物であることと、「東」「南」「西」「北」「白」「發」「中」と「九索」の札に役札を意味する赤丸がついていることから、馬吊から分離した碰和、紙麻雀の姿を示す紙牌と考えられているので、『麻雀競技法』の牌もまた同時期の物と考えてよい。蛇足であるが、紙麻雀は「白版」「發財」「紅中」であるのに対して『麻雀競技法』の牌は「白」「發」「中」である。
この骨牌に、三十二枚の花牌が付いている。同時に、「東」「南」「西」「北」「白」「發」「中」が四枚ずつ含まれているのであって、全部で百六十八枚、通常の牌よりも多く、上で「最多枚数の牌」と呼んだ物よりもさらに多いことになる。三十二枚の花牌はすべて一枚ずつ絵柄が違うが、便宜のため三グループに分類して紹介したい。
第一のグループは二文字が彫られている花牌で、「万化」「索化」「同化」「総王」「天王」「地王」「人王」「和王」「東王」「南王」「西王」「北王」の一二枚である。多分「聴用」牌であろうと思われる。この中で「万化」「索化」「同化」「総王」は各々万子、索子、筒子の三紋標に特に限定して使うのであろう。これ以外の「天王」「地王」「人王」「和王」、「東王」「南王」「西王」「北王」は何にでも使える本来の「聴用」牌であろうと思われるが、後者は風牌的な扱いも考えられる。
第二のグループは一文字彫られている花牌のうち「公」「侯」「相」「將」、「雨」「日」「風」「雪」、「福」「禄」「寿」「喜」である。「公」「侯」「相」「將」は「東」「南」「西」「北」の代わりとする説がある[2]。「福」「禄」「寿」「喜」は絵牌とする説もある[3]。さしたる根拠があるのではないが、一応はすべて季花牌と考えておきたい。
第三のグループは一文字の花牌のうちでおなじみの「春」「夏」「秋」「冬」、「梅」「蘭」「菊」「荷」である。この八文字は絵牌の典型的な形と考えられているので、いちおうは絵牌と考えたいが、これにもさしたる根拠があるのではない。
[1] 中村徳三郎『麻雀競技法』千山閣(大連)・一九二四年。
[2] 王維魯・日華山人『支那加留多ノ取リ方』広源公司出版部(済南)・一九二四年・四頁。
[3] 前掲・許根儒・称日昇『麻將牌打法与技巧』、四頁。魯嘉・蒲国強等『麻將大全』、一〇頁。