五 賭博遊技化した百人一首かるた (三)新発見の史料がもたらす旧説の見直し この初期の「むべ山かるた」の新発見に付随して、一、二点の注記が必要である。第一に、昭和四十年代(1965~74)に山形県の旧家の人から滴翠美術館に寄贈された、屏風に仕立てられた手描きの「むべ山かるた」のカード二百枚の史料批判である。これは他に例がない完揃いのカードであり、発見の当時には、「日本かるた館」での研究において... 館長
五 賭博遊技化した百人一首かるた (二)初期の上方製「むべ山かるた」の発見 むべ山かるた」(上方風、 制作者不明、江戸時代後期) しかし、私は、江戸時代中期(1704~89)でも早い時期の上方製と思われる「上方風」の札を発見し、手元に確保することができた。これを基に「むべ山」の発達の跡をたどりたい。 まず、「上方風」かるたの外形の事実であるが、漆を生掻けした木箱は縦十四・七センチ、横九・一セン... 館長
五 賭博遊技化した百人一首かるた (一)むべ山かるたの賭博遊技化 『博奕仕方風聞書』(寛政年間) さて、江戸時代中期(1704~89)の江戸で、「むべ山かるた」が賭博系のかるた遊技として大流行した。かるたの文化現象としてはとても興味深いものがあるので、ここで紹介しておこう。 まず、その遊技法であるが、寛政年間(1789~1802)にできた江戸町奉行所の与力の報告書『博奕仕方風聞書』に... 館長