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(九)『雍州府志』カルタの総合的な読解

以上が、『雍州府志』の該当部分に関する私の読解である。これを全体として理解すれば、黒川は「読み」とともにトリック・テイキング・ゲームの「合せ」を説明していると理解できるし、その文章、文字使いには、上で指摘してきた小さな問題点はあるとしても、トリック・テイキング・ゲームとフィッシング・ゲームを取り違えるような大きな過誤はない。

『雍州府志』の文章を全体として、また同時にここまでに見たように細部にわたって検討すれば、「合せ」は①江戸時代前期 (1652~1704)の京都に、六條坊門(五條橋通)で制作されていた木版カルタを用いる、当時の人々から「合せ」と呼ばれた遊技法があり、②それは三人でも四人でも五人でも遊べる遊技法で、参加者は囲んで座り、③ゲームの開始時には一人がすべての札を手に持ってよく切ってから裏面を上にしてすべての札を各人に配分し、④それから各人が(トリックごとに一枚ずつ)同じ「紋標」の札を互いに合せ打ちし、⑤(最強の「紋標数」の札あるいは切札を合わせ打った者がそのトリックの勝者で、同じ「紋標」の札でも弱い「紋標数」の札を合わせた者は負けで)、⑥ましてその「紋標」の札がないので他の「紋標」の札を打った者は文句なく敗者であり、⑦(勝者がそのトリックで打たれたすべての札を獲得して自分の膝元に引き寄せ)、⑧(各人に配分した札の枚数分の回数だけトリックを重ねて打ち合い)、⑨(全部の札を打ち終わったら各人が獲得した札の得点を所定の方法で計算し)、⑩(得点が多いものがゲームの勝者になる)という遊技であるということになる。それがトリック・テイキング・ゲームを指しているという判断は揺らぐことがない。

ここで①から⑩までの記述には、『雍州府志』に該当する記述がないので私の推測で補った部分(カッコで括ってある)がある。カルタの遊技法の説明は、名産品を紹介する書物の中では脱線の余談なのであり、黒川の説明が多少端折った文章になっているのは不思議ではない。黒川に対しては、よくぞここまで記録を残してくださったという感謝の気持ちはあるが、欠けている部分のあることを責める気持ちは全くない。

逆に『雍州府志』に書かれているのに①から⑩に書き漏らした文字、言葉はない。つまり、『雍州府志』のこの箇所は、あらゆる文章、あらゆる言葉で「合せ」というトリック・テイキング・ゲーム系の遊技法を説明しているものであると理解されるのである。黒川の記述はトリック・テイキング・ゲームと理解して齟齬がなく、明快である。『雍州府志』にこれと別の理解をすることは不可能ではないのかもしれないが、そう主張するには、少なくとも同書に書かれている文字、言葉については、私がここで実例を示して見せたように、一語の洩れもなくその立場から合理的に説明する必要があるし、そうしてもらえると研究者世界全体の同書の読解が進んでありがたい。山口吉郎兵衛に始まる「プロトめくり」だとする理解は、言葉の説明に漏れが多く、上で見てきたように、すべての札を図像が分からないように裏面を上にして配分するという文章や、人々が「互いに」合わせるという文章の検討がない。これらの漏れも、黒川の記載は簡単過ぎる、誤記だということになってしまうのだろうか。あるいは、「プロトめくり」であるとすれば当然に書かれていなければならない「出来役」などの遊技法の肝心の部分の記述がない。これも誤記、遺漏だというのだろうか。これでは黒川がかわいそうすぎる。

今後、ネット上での情報の利用が増すであろうと予想される中で、江戸時代の古典的な基本文献史料に関して、十分な解読の作業抜きになされた独断的な解釈が第三者に利用可能な状態にあり続けるとすれば、将来の研究者の世界に混乱を持ち込む危険性を増大させる。山口吉郎兵衛の説明不十分な誤記説がその後のカルタ史研究にどれほどの影響を与えてしまったのかという悪しき先例を考えれば、誤情報はなるべく早くにそれへの批判によって中和される必要があることはよく分かるであろう。その際に自分の解読が合理的であるという説明、立証の責任は誤記を唱える側にあるのであり、素直に読む側にあるものではない。それを取り違えてはいけない。

私としてはむしろ、従来、学界の全体が山口の指摘に従い、江戸時代中期(1704~89)、十八世紀以降の「合せカルタ」「めくりカルタ」に関する文献史料を並べて、江戸時代前期(1652~1704)、十七世紀の「合せ」というカルタ遊技が十八世紀の「合せカルタ」、後の「めくりカルタ」と同じ種類の遊技であるとしてきた研究手法が、歴史を語る上でいかがであろうかという疑問を提出したつもりである。十八世紀、江戸時代中期(1704~89)に上方で使われていた「合せ」というフィッシング・ゲームの遊技法が江戸で流行し始めた「めくり」という遊技法の前身であるということを根拠にして、十七世紀の江戸時代前期(1652~1704)に京都にあった『雍州府志』の同名の「合せ」もフィッシング・ゲームの「プロトめくり」であるとするのは、歴史研究としては乱暴すぎる話である。江戸時代前期(1652~1704)の「合せ」が「プロトめくり」だというのであれば、その時期に「プロトめくり」の遊技法が実在したことを示す同時代の史料を出して説明するべきであろう。

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