(五)シルビア・マン旧蔵「狂言絵合せかるた」

狂言合せかるた
狂言合せかるた
(シルビア・マン旧蔵 、
江戸時代前期)

ここで、もう一点、興味ある「狂言合せかるた」を検討しておきたい。現在、私の手元に、以前にイギリスのカード史研究者シルビア・マンから友情の証だとして私に贈られた江戸時代前期(1652~1704)の「狂言絵合せかるた」のカード四枚がある。いずれも狂言舞台での登場人物の全身像を描いたものであり、そのうち三枚には図像だけであるが、一枚には、図像の上部に「かみなり」という表記がある。狂言史研究者の藤岡道子の判定により、曲目のわからない三枚は「ふねふな」「武悪」「音曲婿」であることが分かった。これもまたこの種のかるたの数少ない残存例の一つである。

この「狂言絵合せかるた」については、過去に三回、世界のカルタ史の著作で紹介されている。一番古いのは、ドイツの研究者、ゲルノート・プルナー(Gernot Prunner )が1969年にドイツの三か所の博物館で開催した東アジアのカルタの巡回展覧会の際に刊行した展覧会カタログ “Ostasiatische Spielkarten“[1](東アジアのカルタ)であり、そこには出品番号IL 1-34として次の記述がある。

IL 1-34 絵合せかるた(日本語:え-あわせ かるた) 日本、18~19世紀、?枚中の34枚、貼り合わせたカードの金色地の紙の上にグワッシュ画法で描かれている。7.9×5.5㎝、シルビア・マン(ライ市)コレクション、参考文献:山口、1962年 これは人気のある演劇の場面と関連する遊技具の一部と思われる。本書に掲載した図版IL1-6が示すように、この遊技具は、同じ図像の対になるカードで構成されており、一方のカードには付加的に題名が書かれている。残念なことに題名は不明瞭ないし草書体なのでその意味は分からない。構造とスタイルは本書に掲載したXLVI1-13、XLVII1-3及びXLVIII1-8と合致する。    

この解説に付されているのは「すはじかみ」(酢薑)、「ふす」(附子)、「くちまね」(口真似)の三点の曲目の白黒図像であり、各々につき、絵札とそれに対応する文字付きの札が掲載されている。

これに次いだのはドイツのカルタ史研究者、デトレフ・ホフマン(Detlef Hoffmann )が1973年に著した著書 “THE PLAYING CARD  An Illustrated History”[2]である。同書は、世界のカルタ史を詳細に検討した名著であるが、その中に「狂言かるた」の図像が掲載されており、次の記述がある。

89 b) 日本、18~19世紀:何組かの絵合せかるた。複数枚重ねられたかるた紙、金色の地紙上にグワッシュ画法で描かれている。7.9×5.5㎝。動物、植物、宮廷の用具、その他が描かれている。ゲームの要点は同属のカードを見つけ出すことにある。別の組のカードには人気のある演劇の場面が描かれている。参考文献:Gernot Prunner “Ostasiatische Spielkarten“。 ライ市、シルビア・マンコレクション

ここには、合計十二枚のカードがカラー図像で掲載されている。プルナーが扱っていた「すはじかみ」(酢薑)、「ふす」(附子)の各二枚、合計四枚のほかに、「ふくのかみ」(福之神)、「うちさた」(内沙汰)、「たいはんにや」(大般若)、「ほねかわ」(骨皮)、「かみなり」(神鳴)、「ひつしきむこ」(引敷聟)の文字付きの札が各一枚、合計六枚、「さんばそう」(三番叟)、「ぬけがら」(抜殻)の図像のみの札が各一枚、合計二枚である。この内の「かみなり」(神鳴)は今日、私が保有しているものである。

第三の資料はシルビア・マン本人の著作 “All Cards on the Table” [3]である。同書には次の記載がある。

251 絵合せ かるた 狂言かるた 絵合せカード。シングル・フィギア。制作者:不明。18世紀。
30枚、多分100枚の内; 7.9×5.5㎝。グワッシュ画法、金箔、紙、厚紙。背面:金箔で表面に縁返しされている。
題名:カードのうち半数に題名と古典芸能の役柄の絵がある。残り半数に同じ絵があるが題名はない。役柄の絵は、能の公演における幕間のものである。
参考: Gernot Prunner,  Ostasiatische Spielkarten. Bielefeld 1969. NO.IL 103
      Detlef Hoffmann, The Playing Card. Leipzig 1973. pl.89b.

ここには、プルナーが紹介した「すはじかみ」(酢薑)、「くちまね」(口真似)のカード、各々二枚、合計四枚のカラー図像が掲載されている。

以上を総合すると、「すはじかみ」(酢薑)、「ふす」(附子)、「くちまね」(口真似)が各二枚、「ふくのかみ」(福之神)、「うちさた」(内沙汰)、「たいはんにや」(大般若)、「ほねかわ」(骨皮)、「かみなり」(神鳴)、「ひつしきむこ」(引敷聟)が各一枚、「さんばそう」(三番叟)、「ぬけがら」(抜殻)、「ふねふな」(舟船)、「ぶあく」(武悪)、「おんぎょくむこ」(音曲婿)が各一枚、合計で曲目で見れば十四種、カードで見れば十七枚の図像を史料として活用することができる。このかるたは、一対のカードで図像が同一であること、「漢字札」がすでに曲目の表示を省略した絵札に変化していること、それに人物像が小さく表現されている図像の印象からすると、制作された時期は三池カルタ・歴史資料館蔵「狂言絵合せかるた」よりも下がる江戸時代中期(1704~89)のものと考えられるが、そうだとすればこれもまた「絵合せかるた」史の空白期を埋める貴重な史料と考えられる。

以上のことから、江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)に「絵合せかるた」が成立し、合せ取る二枚のカードの図像は対になる図柄のものであり、それが対になることを理解しやすいように漢字と平仮名で名称が書き込まれており、その図像がのちに同一の二枚の絵が図柄になるカードに変化し、それなのに漢字と平仮名の表示は消えなかったと理解することができる。なお、時代が下がると、同一の図柄を繰り返すことの冗長さ、重複感を嫌ったのであろうか、「漢字札」からは文字が消えて図像だけになって「絵札」と呼ばれ、「仮名札」からは図像が消えて平仮名の文字だけが残って「字札」と呼ばれるようになった。こうしたカードはまた遊技法から「取り札」「読み札」と呼ばれるようになった。

以上の検討を通じて、江戸時代前期(1652~1704)、京都を中心に花開いた「絵合せかるた」の発祥と存在をいちおう明らかにできたのではないかと思う。それは、京都の公家社会、武家社会、そして上流の町衆がやっと訪れた日々の平和を享受する遊技のツールとして成立し、京都の六條や島原の遊郭を通じて一般社会にも広まっていった。京都の二條近辺に成立した美麗な工芸品の制作技術も「絵合せかるた」に遺憾なく投入され、美術品としても十分に鑑賞に堪える品質が維持された。

もちろん、この時期の日本式かるたについて、史料的な裏付けはまだ弱いものがある。この研究を契機にして今後、当時のかるたや関連史料の探索とさらなる発見、そして研究が進展することを期待している。私としては、五十年前に「絵合せかるた」が「漢字札」と「仮名札」で構成されていることを解明して記録した山口吉郎兵衛の功績を、その後の半世紀に及ぶ俗で無知なかるた史論者の無理解と見逃しから救い出し、私自身の調査と研究を加えてそれを補強して、今後の研究の起点を再構築できたであろうことを何よりも誇りに思う。若い世代、新鮮な問題関心を持った新進の研究者が古い研究者の俗説に惑わされることなく、次のステップの実証性の高い研究に進むことを期待する。

本節の記述は、もともとは平成二十八年(2016)二月に日本人形玩具学会の研究部会で行った「芝居遊びかるた」報告の一部をなす構想であったが、どうしても書いておきたいことが溢れてその報告中ではバランスが悪くなり、別個の論文に分離、独立させたものである。日本人形玩具学会の報告では、江戸時代前期(1652~1704)の「舞台芸能絵合せかるた」については最小限のことしか触れていないが、今回は、江戸時代中期(1704~89)の「役者かるた」ではこの時期のかるたの具体的なイメージを明らかにする史料を紹介することができた。また、江戸時代後期(1789~1854)、幕末期(1854~68)の「役者絵かるた」「声色かるた」「筋書かるた」等では何点もの新出の史料を使って、歌舞伎が大好きだった江戸期の人々の遊技文化について明らかにすることができた。今回の報告と合わせていただければ、江戸時代の全期に及ぶ「芝居遊びかるた」の全体像が明らかになると思う。


[1]  Gernot Prunner, “Ostasiatische Spielkarten“, Bielefeld, 1969. s.103

[2] Detlef Hoffmann, “THE PLAYING CARD   An Illustrated History”, Edition Leipzig, 1973. Plate 89 b).

[3] Sylvia Mann “All Cards on the Table” Volume I: Text, Jonas Verlag, 1990, p.333.

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です