一 百人一首歌仙絵画の変遷 (四)上畳描写の変化を示す実例 上畳が登場した例としては古い時期のものとなるが、私が所蔵する「飛畳三十六歌仙絵色紙」では、畳が茵(しとね)のように立体的に描かれていて、歌人絵は、これも今日の言葉でいえば魔法のじゅうたんに乗って空を飛んでいるアラジンのように座っており、上畳に乗って空中に浮遊している感がする。山辺赤人、中納言兼輔、壬生忠岑の図像は特にそ... 館長
一 百人一首歌仙絵画の変遷 (三)歌仙絵における上畳の描写 以上、百人一首かるたの歴史の探求から一歩横に踏み出して、歌仙絵の歴史研究に介入して両者の比較検討を行うことで、江戸時代前期(1652~1704)における歌人図像付きの「百人一首かるた」の成立についてほぼ明らかにすることができた。私以前のかるた史の研究では、「道勝法親王筆かるた」の成立年代測定の誤りに振り回されて、歌人図... 館長
一 百人一首歌仙絵画の変遷 (二)百人一首歌人絵、歌人画の変遷 百人の歌人絵、歌人画について、一人ひとりを調べて図像の系譜を探るという研究の方法は以前から日本文学史や美術史の専門研究者たちによって散発的に行われてきたが、私はその不徹底さが気になり、素人ながら、かるた史研究の境界を超えて研究を試み、専門家の業績を読破した上で比較検討を百人の一人一人について行った。その結果、ここに紹介... 館長
一 百人一首歌仙絵画の変遷 (一)装飾画としての歌仙絵の伝承 これまで、三十六歌仙絵、女房三十六歌仙絵、釈教三十六人歌仙と百人一首歌人画との関係を見てきた。これはラフ・スケッチ、大まかな見取り図のようなものである。『業兼(なりかね)本』、『時代不同歌合』、『釋教卅六人謌仙』という三点の基準作と『素庵百人一首』を突き合わせればこういうふうに見えてくるという観念的な作業であり、実際に... 館長