四 「うんすんカルタ」の文献史料 (三)わずかな手がかりを残す「神戸村文書」 不明な点の多いうんすんカルタの歴史の中で、特に困惑するのは、江戸時代後期(1789~1854)、幕末期(1854~67)の歴史史料が存在しないことである。山崎美成は、古くから伝わっている史料に基づいて記録を残したが、同時代のこのカルタの存在については語っていない。そして、史料的には、この空白期の後に、明治年間(1868... 館長
四 「うんすんカルタ」の文献史料 (二)熊本県人吉市での「うんすんカルタ」遊技の発見 豆本『うんすんかるた抄』(山口格太郎、昭和四十二年) ここで救いになったのが熊本県人吉市内に残されていたうんすんカルタの遊技の発見である。ここにうんすんカルタが残存していることは昭和前期(1926~45)にはすでに知られていたが、それは、昭和十七年(1942)に三十歳で病没した球磨郡上村の空戸數義が病床で地方誌『球磨』... 館長
四 「うんすんカルタ」の文献史料 (一)江戸時代の文献史料は希少 うんすんカルタの歴史、とくにその遊技法の歴史がよく分からない理由の一つが、文献史料の不足である。これまでに明らかになったものでは、江戸時代中期(1704~89)の大田南畝『半日閑話』と江戸時代後期(1789~1854)の山崎美成『博戯犀照』、『耽奇漫録』の三件であるが、後二者は『半日閑話』の述べる遊技法の記事を写しつつ... 館長