一 花札史の研究 (五)めくりカルタ代用品説を否定する史実の発見 花鳥合せ(村井カルタ資料館蔵、 『別冊太陽いろはかるた』) 私は、昭和五十年代(1975~84)に花札史の研究を始めたが、当初は、この清水晴風、村井省三の通説を疑うことはなかった。だが、通説を支える史料の乏しさが気になっていた。それに加えて、大平与文次や永沼小一郎など、清水晴風以前に花札の沿革を研究した者の、清水晴風の... 館長
一 花札史の研究 (四)清水晴風の理解の通説化 尾佐竹猛「下等百科辭典」 一方、清水晴風説の影響力は極めて大きく、田口卯吉は明治四十年(1907)の『日本社會事彙』で「花鳥合は貝合の文字を繪画にせるものにて、四季の花鳥を取合せ、其数三百余枚に及び、四枚を以て一組とす。児童の教育には恰当(こうとう)の遊戯品たり。ウンスン骨牌禁止の時、上流社会の娯楽品として案出され、歌... 館長
一 花札史の研究 (三)永沼小一郎による花札の由来の紹介 永沼小一郎「古今室内遊戯餘談」 花札の歴史研究にとって重要な明治期の文献の一つが、雑誌『風俗画報』に掲載された、永沼小一郎の「古今室内遊戯餘談」という論文である。永沼は「花カルタ」の由来、創始者が残した古い遊戯法、「合駒骨牌」という遊戯法について述べている。私は『ものと人間の文化史167 花札』で永沼の生涯と事跡につい... 館長
一 花札史の研究 (二)清水晴風によるめくりカルタ代用品説の提唱 清水晴風「花加留多考」 この、大平与文次の記事は、発表当時からほとんど注目されることなく埋もれてしまっていた。そこに登場して、花札の歴史認識に決定的な影響を与えたのが、明治三十八年に骨董好きの集団「集古會」の機関誌『集古會誌』乙巳巻之三第四号に掲載された、清水晴風の論文「花加留多考」である。私は、これについても『ものと... 館長
一 花札史の研究 (一)大平与平治による花札の歴史の解説 大平与文次「骨牌類」 花札は、明治十年代(1877~86)の末に売買が解禁され、明治二十年代(1887~96)に一大ブームとなった。だが、それまでは、明治前期(1868~87)に博徒が行う博奕の用具として多用されたこともあって遊技具としてのイメージは悪く、解禁後もその歴史を学術的に探求しようとする者はほとんどいなかった... 館長