一 近代日本人の対外進出と花札 (三)「総理大臣の花かるた」の正体 ちょうどこの時期、明治三十四年(1901)から三十五年(1902)にかけて伊藤博文が欧米を視察する旅行に出かけていたことはすでに述べた。その際に伊藤は土産品としてこうした大型の花札を何組か購入したようである。この話が販売したカルタ屋の側では、伊藤博文が特別注文でごく少数を製作させて買い上げた一社限りの貴重な限定版だとい... 館長
一 近代日本人の対外進出と花札 (二)ハワイの日本人移民と花札 花札を実際に遊技具として多く使ったハワイでは、日本人移民の増加と共に花札が持ち込まれた。たまたま熊本県出身の移民が多かったので、ハワイの花札の遊技法は熊本風になった。熊本の地方ルールでは、短冊札が十点で生き物札が五点なので、ハワイの花札のルールでもこのようになっている。この地で用いられた花札は「八八花札」であった。日露... 館長
一 近代日本人の対外進出と花札 (一)日本製のかるたの対外進出 江戸時代末期(1854~67)の開国以降、日本国内は押し寄せる西欧の文化に翻弄されて嵐のような変革に直面したが、他方で、いち早く日本人の海外への進出も生じた。真っ先に生じたのは、外国人商人による男女の日本人奴隷の輸出であった。国内での人身売買が年季奉公として認められていたのであるから、その延長線上に、海外の職場での年季... 館長