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八 アンベール(Aimé Humbert)

エーメ・アンベール 
エーメ・アンベール Aimé Humbert

幕末期(1854~67)の開国後、来日した外国人は日本のカルタに関心を示した。スイスが日本との国交樹立に向けて文久三年(1864)に日本に派遣した外交団の団長エメ・アンベール(Aimé Humbert)はその一人であり、帰国後に『幕末日本図絵』(“Le Japon illustré”)を表して、日本社会の実情を伝える写真集を公表した。それは、当時の最新技術であった写真術を活用したものであり、日本のカルタ遊技を画像で最初に海外に紹介した歴史的な成果となった。

この本に収録されている写真は、当時の写真技術の限界で、社会生活としてのカルタ遊技場面の実写ではなく、スタジオにセットを組み立ててモデルの人々に静止したポーズを取らせて撮影したものであるが、それでもある程度はリアルに当時の情景を写し取っている。

幕末日本図絵
『幕末日本図絵』表紙

画面では男性三人、女性一人の合計四人が遊技に参加しており、それを男性一人、女性一人が見物している。行われているのはカルタの遊技であるが、各人が手札を持ち、場に五枚のカードが広げられていてゲームの途中のように見えるものの、すでに獲得されたカードは一人の者の膝の前に不自然に置かれているだけで、これでは勝負になっておらず、ゲームの描写としては不自然である。

なお、アンベールの書いた著書の本文には、温泉での湯治が紹介される中に「日本の浴室は上品で、博奕を軽蔑し、骨牌遊びは下男や馬丁のすることになっているが、それでも金銭を賭けてはならないとしている」[2]とあるが、ここでは「骨牌」であるのに写真のキャプションの方は「花札遊び(弄花)」である。この記述がいずれも正確であるとすると、アンベールは、「花札」を西欧社会に紹介した最初の人間になるのだが、写真からはそうとは確認が不可能であり、原本では「花札遊び」ではなくてJoueurs japonais(日本人のプレーヤー)である。アンベールがカルタ一般ではなく「花札」という特定の種類のものを認識していたことを示す叙述は存在しない。日本語訳への翻訳者の誤解による行き過ぎの誤訳である。

日本人のプレーヤー
「日本人のプレーヤー」(『幕末日本図絵』

また、似たような写真としては、『幕末明治文化変遷史』に掲載された「カルタ遊び」[3]がある。これは女性三人が椅子に座り、卓上で遊技をしている情景であるが、各人が手にしているカルタが妙に細長く、中国のカルタの形状、大きさであり、日本のカルタではないように見える。開国後の日本には、西欧人と共に多数の中国人が滞在していて、外国人居留地に住んで貿易の仕事に携わり、遊郭での遊興も盛んであった。そこでは中国の紙牌の遊技も盛んであり、さらに日本の警察権が及ばないので、相当おおっぴらに中国人経営の賭場も開かれていた。遊郭の女性らしく見える三人が中国の紙牌で遊んでいてもそれほどの違和感はない。

カルタ遊び
「カルタ遊び」(『幕末明治文化変遷史』)

さらに、明治年間(1868~1912)に入ると横浜で英字新聞The Far Eastが創刊され、そこに掲載された写真の中にもカルタ遊技の場面があり、こちらでも男性が二人、女性が二人、合計四人がゲームに参加している。これももちろんセットでの写真であるが、女性の一人が赤子を抱いているので、日常の生活風景に似せた写真を撮りたかったのであろうか。「花札遊び 大きな夜着を着込んで寒さをしのんでいる 花札はさいころより家庭的だった」[4]と説明されているが、英語の表記はGamblingであって花札と特定してはいない。説明の中の「しのんでいる」は「しのいでいる」の誤植であろうが、「大きな夜着」を着込んでいるのは四人の中で右手前の一人だけであり、開放的な縁側風のセットでの撮影からは、寒さをしのいでいるという雰囲気はない。キャプションがおかしいのである。

ギャンブリング
「ギャンブリング」(The Far East)

[1] アンベール著、高橋邦太郎訳『幕末日本図絵下』、雄松堂書店、昭和四十五年、八四頁。

[2] 同前、アンベール著、高橋邦太郎訳『幕末日本図絵下』、一一三頁。

[3] 東洋文化協会『幕末明治文化変遷史』、横浜毎日新聞社、昭和四年、一二九頁。 

[4] 『続巻写された幕末1 英字新聞ファー・イースト写真集』アソカ書房、昭和三十七年、七八頁。

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