(Philipp Franz Balthasar von Siebold)若い時期の全身像の絵 ブロンホフ、フィッセルに次いで日本のカルタをヨーロッパに持ち帰ったのは文政十一年(1828)に国外追放処分を受けて日本を出国した長崎出島の商館医師フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Fra...
ブロンホフに次いで日本の文化をヨーロッパに紹介したのはオランダ商館員でブロンホフの部下であったヨハン・フレデリク・ファン・オーフェルメール・フィッセル(Johan Frederik van Overmeer Fisscher)である。フィッセルはカルタにも関心があったようである。その『日本風俗備考2』は次のように述べて...
ブロンホフと同時期の出版物であるが、ドイツで通俗的な日本の紹介本が出されている。1821年刊のフレデリック・ショーベール(Frederic Shoberl)『最近の日本及び日本人に関する調査』(”Neuestes Gemälde von Japan und den Japanern”)である。同書には、ドイツ語で次のよ...
トゥーンベリ (Caroli Petri Thvnberg) 日本のカルタについてある程度まとまって言及した最初のヨーロッパ人は、長崎の出島の医師として採用されて来日したスウェーデン人、カール・ペーテル・トゥーンベリ(旧来の表記ではツンベルク)である。トゥーンベリは、安永四年(1775)に日本に到着し、安永五年(177...