トランプは、大正時代(1912~26)になると、第一次大戦による好景気を背景に、外国の香りもする明るい娯楽として急速に普及した。この時期には、東京などの大都会で夫婦に子どもの核家族の世帯が大幅に増加しており、そこで展開される新しい生活には「花札」とは違ったモダンな雰囲気やどことなく立ち込める外国文化の香りがするハイカラなトランプがよく似合った。その雰囲気は、この章の扉の挿絵に使ったように、竹下夢二の絵画などでよくイメージできている。「花札」にまとわりついていた賭博用品という暗いイメージはトランプには希薄で、健全な国民娯楽というイメージになっていた。実際にはトランプも賭博遊技に用いられていたのであるが。

阿部徳蔵『とらんぷ』
阿部徳蔵『とらんぷ』

こうしたトランプの流行を経て、画期的な研究書が出された。昭和十三年(1938)、前年からの日中の本格的な武力紛争を受けて軍国主義の風が強く吹く中で、そういう時代の雰囲気などどこ吹く風かという趣きで出版された、阿部徳蔵『とらんぷ』[1]である。著者の阿部は明治二十三年(1890)に東京に生まれ、幼少時より奇術に関心が深く、厳格な親の目を盗んで独学の修業に明け暮れ、長じて日本のアマチュア・マジシャンの中心的な存在となり、アマチュアのマジシャンの集まりである「東京アマチュア・マジシァンズ・クラブ」(T・A・M・C)の会長を勤めた[2]。阿部はまた、大正十二年(1923)に神奈川県葉山の御用邸で摂政宮(後の昭和天皇)に手品を披露して見せたことを生涯の誇りとしていた。阿部は、マジックの研究のために日本と国外の文献を良く研究していて、筆も立ったのでその成果を何冊かの書物に表して公表した。こうした阿部であったので、トランプ奇術の研究から入って、トランプ、カルタそのものの研究にまで及んだのである。なお、阿部は昭和十九年(1944)に神奈川県鵠沼の自宅で死去したが、当時の事情は親交のあった谷崎潤一郎が重症の阿部を見舞った日のことを書いた「三つの場合 一、阿部さんの場合」[3]に詳しい。この文章は阿部にはちょっと気の毒な内容も含まれているが、これもまた阿部の人柄を知る一つの記録である事には違いない。

阿部の著書『とらんぷ』は、トランプの起源、歴史、各国での発展を紹介した後に、トランプ占い、トランプ・ゲーム、トランプ奇術という三大用途について、広くて深い研究の成果を述べている。そこに明らかなように阿部は、当時最先端にあったアメリカのハーグレイブの著書なども活用して当時の国際水準での研究を行っており、その成果としての国際水準に立ったカルタの見方は、世界規模でも当時の一流のカード研究書と評価できるものであった。また、従来の欧米のカード研究書は、カード史に特化するか、占い、ゲーム、奇術のどれかに偏って記述されているのが常であって、そういう点では、三つのジャンルに万遍なく及ぶ阿部の視点は特に高く評価されるべきであろう。そして阿部はトランプの歴史上のゲームとして「タロッコ」「ミンキアッテ」「オンブル」「ホイスト」を紹介し、さらに、現代のゲームとして「ツウ・テン・ジャック」「ナポレオン」「二十一」「三十一」「ポーカー」「ホイスト」にも言及している。また、ここには「目下流行のブリッヂと称するゲーム」への言及がないが、それは、「ブリッヂは非常に複雑を極めたゲームで、ブリッヂのみを説き明すためにも、一冊の書をもつてしなければならぬ程であるから、ここでは一切省略した」からだと説明されている。そして、「ブリッジ」「ポーカー」と共に世界の三大カード・ゲームと言われていた「ジン・ラミー」への言及がないことも目につく。

同書には、各国のカード史の検討の中で日本のカルタの歴史についても触れているが、記述は極めて不完全である。そして、カルタの遊技法については『雍州府志』と『博戯犀照』の説明をそのまま紹介して「以上のやうに、文意不明であるためにどうもはつきりとした打方を知る事は出來ない」と投げ出している。結局、本書は日本のカルタ史の研究書としてはそれ以前の類書の水準を超えていないが、トランプに関しては国際水準の優れた業績であり、日本のトランプ史を飾る名著である。第二次大戦後のカルタ史の研究ではどちらかというと軽視されていることがいかにも残念である。 


[1] 阿部徳蔵『とらんぷ』第一書房、昭和十三年。

[2] 阿部徳蔵の人となりについては、坂本種芳「阿部徳蔵と『兵助先生』」『奇術研究』五十一号、昭和四十三年、五九頁。

[3] 谷崎潤一郎『三つの場合』中央公論社、昭和三十六年、三頁。

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