(二)「百人一首かるた」文化の地方化

「百人一首かるた」が全国的に流行するのにつれて、各地でその地方に固有の特色を帯びるようになった。まず、遊技法では、カードの配布方法や並べ方、役札の範囲なども微妙に異なるホーム・ルールができあがるが、和歌の読み方に地方色が出てくる。

以前に、画家の安野光雅[1]は、「わが津和野は昔から百人首が盛んで、それは今の子どもたちにも受け継がれている。ただ、読み方のメロディは、NHKで放送されたり、CDに入って市販されているものとは少しちがう。それらも悪くはないが、わたしにはこどものころから親しんできたメロディのほうがいい。津和野のそれの荘重にして優雅なことはひけをとらない」と書いている。

倉敷の大原美術館の大原謙一郎[2]も、「今の、関東武家社会の読み方はよくない。小倉百人一首は本来の京都のみやびな言葉で読むようにありたい」という考えである。

こうした例と別に、本格的に方言で読み書きする百人一首がありうる。現代の話であるが、方言表記の百人一首を開発したのはペンネームが卍尼恩比丘(まんにおんびき)の佐藤恵達である。佐藤は、『宮崎方言版小倉百人一首』[3]において、宮崎市郊外の農村地帯の生活語をもとにして、宮崎弁への翻訳に取り組み、大きな成果を挙げた。「じきくッと ゆうた言葉を まにうけち よッぴち待ッた 外は有り明け」(今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな)、「ずゥつむこまじ ほかほかびより 春がすみィ なしけそわそわ 花が散るじャろ」(久かたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ)、「ひとわさあ どんげなッたか わからんが んめわ変わらじ いいかざがする」(人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける)、「ぎッちョンちョン ねた方角ゥ ながむッと ただ明け方ん 月キャ見えちョる」(ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明けの 月ぞのこれる)という具合である。ただし江戸時代の同種の試みは記録されていない。

葛飾北斎「風流源氏歌かるた」(江戸時代後期)
葛飾北斎「風流源氏歌かるた」(江戸時代後期)

また、遊技具としては、まず、江戸時代後期(1789~1854)の江戸に登場した木版の「歌合せかるた」の玩具絵が注目される。「百人一首かるた」が多く、安藤広重、葛飾北斎、渓斎英泉などの絵師が手掛けた八枚組のものが普及した[4]。また葛飾北斎には、文化六年(1809)刊、四枚組の「風流源氏うたがるた」[5]もあり、明治年間(1868~1912)まで長期間版を重ねた。

加賀版百人一首歌かるた  (制作者不明、幕末期~明治初期)
加賀版百人一首歌かるた
(制作者不明、幕末期~明治初期)

こうした木版の玩具絵は江戸だけでなく各地で刊行可能であった。記録が残るのは北陸、金沢市のもので、私が昭和末期(1985~89)に調査したころには、市内の骨董店に、彩色がいかにも幕末期らしくどぎつく、読み札に上の句だけでなく、上の句、下の句の全文を掲載するものが大量に残っており、未裁断の玩具絵もあった。私が見た限りでは、読み札に和歌の全文を掲載したのはこの「加賀版百人一首かるた」[6]が最も古い。あるいは江戸時代中期(1704~89)の終わりから江戸で大いに流行した賭博遊技用の「むべ山かるた」の読み札が全文表記であったことに触発されたのであろうか。カードのデザインとしては過密でややうっとおしいが、読み手に和歌の知識が不十分でも文字が読めさえすれば役目が務まる。

このタイプの百人一首かるたは、当初は北陸地方の地方札であったのだが、この表記法は明治年間(1868~1912)に広く普及し、全国各地で木版摺りの百人一首かるたが全文表記になり、次いで明治三十年代(1897~1906)の競技カルタの提唱を支えた機械印刷の標準かるたがこれを採用したことでこの全文表記が標準形になった。こうした読み札の登場が、和歌に暗くとも遊べる下の句かるた発祥の前提であり、したがって、江戸時代の全歌標記の読み札が発見されていない時期の会津のような地域において数十年後のあやふやな伝承だけで下の句かるた遊技の発祥を求めるのは史料面での支えのない空論と判断される。

遊技具の面でもう一つ見るべきなのは、「木板かるた」である。江戸時代には堅牢な紙製のカードは製作のコストが高額であったので、これに代えて手近な木板製のカードを使うことが多かった。山口吉郎兵衛が指摘するように、江戸時代前期(1652~1704)にはすでに高級な木板のかるたが存在しており、当時の社会ではカード状の木片を調達することは堅牢な小色紙型の紙製品を入手することよりも安価で容易であったので、その後、全国各地、特に山間地域で繰り返し製作された。東北地方、北陸地方などでは手書き、手造りの上の句札、下の句札の木板かるたが盛んに使用されていたようで、これも各地の骨董店の店の隅で埃を浴びて売れ残っているものをよく見かけた。


[1] 安野光雅『片想い百人一首』、筑摩書房、平成十二年、二一一頁。

[2] 大原謙一郎「日本語について思うこと(その二)―京言葉と日本各地の多彩な『方言』について」『ほほづゑ』第三十六号、平成十五年、一五八頁。

[3] 『宮崎方言版小倉百人一首』、鉱脈社、一九九四年。

[4] 白幡洋三郎編『百人一首万華鏡』、思文閣出版、平成一七年、口絵一〇頁。

[5] 葛飾北斎「風流源氏うたがるた」『太陽浮世絵シリーズ北斎』、平凡社、昭和五十年、二八頁。

[6] 白幡洋三郎編『百人一首万華鏡』、思文閣出版、平成一七年、口絵一一頁。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です