日本で考案された花札は、世界的に見ても魅力のあるカード・ゲームである。フィッシング・ゲームという手札で場札を釣り取ってくるタイプの遊技法は、国外に広まる十分な魅力を持っている。遊技文化の世界では、海外、特に欧米の遊技が先進的であり、グローバルであるという観念が強いが、こうした欧米崇拝の是非はさて置くとして、花札にはグローバルになりうる内実があることは確かである。そして、これまでここでも見てきたように、かつて日本の影響下で花札が導入された韓国、ハワイ、ミクロネシアなどでは、それはしっかりと根付いて今日でも栄えている。韓国にいたっては、日本以上に「花闘」が盛んに用いられていて、花札韓国起源説さえ主張されている。

これに加えて、最近の一般市民の間での国際交流の発達、異文化経験の深化の流れの中では、花札のカードの美術的な魅力も理解されるようになった。試みにインターネットでHanafuda等のキーワードで検索してみると良い。欧米のアーティストによる実験的な新図像の作品が多数発見できるであろう。中には、日本国内で発表し、商品として販売すれば人気を呼ぶであろうと思われる魅力あるものも少なくない。

私は、ネット社会、ネット文化の時代にあって、外国語に通じた優れた教則本、優れたインストラクター、優れたオルガナイザーが出れば、かつてのような花札遊技の用器具の入手難という壁、理解できる言葉でルールを教えてくれる者がいないという壁、そして関心を持っても周囲に実際に遊ぶ相手が見つからないという壁をネット上で乗り越えて、花札はさらに国際的にも遊ばれて、そこにいわば「グローバル花札」が成立する可能性があると思う。特に韓国は「花闘」が国民娯楽であり、町では、コンビニや新聞、煙草のスタンドなどでもカードが売られていて、あちこちで実際に遊ばれている姿を見かける。だから、すでに社会の表面からほとんど姿を消したように見える日本と比較すれば、たとえば欧米人が東アジアを旅行したときには韓国こそが花札の本場で、日本にも波及してあったのかと思うのではないだろうか。人々が花札に寄せる情熱と関心が強い韓国は、今後花札が国際的に普及するための有力な拠点である。また、ハワイ、ミクロネシア、アメリカ本土等の花札愛好者にも、国際的に注目されてよい知恵と経験があるはずだ。

花札はグローバルな遊技に発展する可能性を秘めた魅力的な遊技である。そのためには、花札は日本固有の文化だと思って国内に縮みこむのではなく、花札の用語を、柔道がよい手本であるが、思い切って国際的に通用するものにしてもよいだろう。ルールを改めることも必要であろう。点数や役の配分も再検討しても良い。こうして言語の壁を乗り越えて、むしろ世界に向けて日本の花札文化を開こうとする姿勢が望ましいのではないか。

ゲームは、本来、誰にでも平等に開かれているものであって、花札も、たとえば身分制の拘束の強かった江戸時代でも、これで遊ぶときは、社会の身分差も、家族の中での上下関係も枠の外に置いて、対等、平等な競技者として実力勝負が可能であった。江戸時代の「よみカルタ」の名人として後世に名前が残っている人々は、「猿江の専念寺の住職」「又砂村の百姓縫右衛門」「両替町會津屋五兵衛」「茶屋町寄合茶屋菱屋小左衛門女房おりつ」と、決して身分が高い人ではなかった[1]。こうしたカルタ札、花札というゲームの持っている開放性、普遍性、対等、平等な交際の可能性が、ネット社会の出現によってグローバルに現実味を帯びてきた。

日韓両国のゲーム愛好家が中心になってネットを通じて「コイコイ(韓国ではゴーストップ)対抗戦」を行い、そこから「コイコイ世界選手権大会」に進み、「花札ワールドカップ」が開催され、他のゲームと共に「頭脳スポーツ・オリンピック」が開催される。そこで使用されるカードは、伝統の古典的なデザインのものでもいいし、日本で考案された、世界的にもなじみのある「ディズニー花札」であっても良いし、「スヌーピー花札」でも良い。日本のアニメやゲームのキャラクターは今や世界的なヒーローであるから、キティーちゃんでもマリオでも、キャラクター花札のどれかが世界的な標準図像になるかもしれない。あるいは韓国にも良い知恵があるかもしれない。世界中の人々が花札を自分のものと感じられるようなルール、ゲーム用語、用器具の開発、そして各国語での説明書、インストラクター、コーチの養成、実際にゲームを楽しめるネット上のサイト、あるいはリアルな遊技の会場の設置、国際的な交流試合、競技大会の開催、こういう諸条件を整える資本投下の先に、「グローバル花札」が見える。

これは決して突飛なことではない。囲碁の世界ではすでに以前から実現されているし、麻雀でも、平成年間(1989~2019)に「日本健康麻将協会」を拠点にして、すでにこの協会の全面的な支援の下で中国政府による国際ルールが制定され、「健康マージャン」の日中交流試合や国際競技大会が開催され、ヨーロッパやアメリカでも地域レベルでの競技麻雀大会が開催されるように変化している。カルタの世界でも、ブリッジなどは早くから国際的に成立する遊技であり、競技者の国際的な組織、団体があり、世界大会が開催されている。花札や賭博系のカルタ札は、こういう流れに完全に立ち遅れているだけでなく、高度成長期の日本で改革への努力と必要な資本の投下を怠ったために、他のギャンブルの盛況と逆にみるみる衰退してしまった。だが、ネット社会という新しい環境の中で、遊技が社会的に成立する条件を整えて、新しいルールの考案、魅力的な用器具の開発、遊技の場の設置、インストラクターの配置、愛好者の団体結成などに必要な初期投資をきちんと行い、全体に遊技の環境を刺激すれば、花札やカルタ札にはもう一度その魅力を取り戻して人々に支持されるとともに、国境を越えて世界中の多くの人々が楽しめる遊技として発達する可能性がある。花札対決をしたよきライバルの相手が、「太郎」と名乗っているが実はアメリカ人であったり、「花子」がアフリカの人であったり、「アナスタシア」が日本人であったりして、そこでネット上での遊技が成立する愉快な日が来ることを思おう。


[1] 「当世武野俗談」『燕石十種』一卷、中央公論社、昭和五十四年。

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