ここに一つ、問題がある。1928年に榛原茂樹が北京市で発見して入手した古牌である。榛原によれば、それは「一品」「二品」となっている麻雀牌で、文字牌は、三元牌が「晩」「凉(凉は涼の俗字)」牌で「白」牌は欠けている。風牌は「江」「村」「斜」「影」である。花牌として「棋」「僧」「待」「月」牌もあるという。花牌の図柄もまた、いかにも中国らしい夜景の描写であり、心惹かれるものがある

榛原は、これの箱の蓋裏に「甲子歳置於福州」と墨書されていたので、これは、もともとの持ち主が、1864年の甲子の年に福建省福州市で入手したもので、だからこの牌の制作年月はそれ以前に遡ると考えていたようである。だが、「甲子歳」は、1864年から六十年後の1924年でもありうる。そして、平成十七年(2005)に再発見された榛原牌の実物の検証によっても、この牌の出自は明らかになる。まず榛原が書き残した「甲子歳置於福州」の墨書であるが、私が詳細に読み解いたところでは、「甲子歳二月賈於福州」であった。また、この収納箱がボックス型であることも、1920年代の特徴である。

次に、麻雀牌であるが、牌が大ぶりであること、「品子」を使っていること、その文字は通常の万字に比べるとはるかに大きく、牌の表面一杯に彫られていること、「二筒」の二つの筒子が離れて彫られていること、「一索」牌の鳥が二十世紀の牌に定型的なツバメであること、「三索」の上部の索子が下部に食い込んでいないこと、「八索」が「М索」であることなど、これまで見てきた「品子」牌と共通の特徴をもっていることが分かるのである。なお、榛原は、三元牌を「晩」と「凉」としているが、牌の構成に八枚の欠損があり、うち四枚は三元牌の「白板」であろうと推測される。また、花牌は、「棋」「僧」「待」「月」である。

従って、私は、榛原牌も1920年代の中国における自由麻雀のなかのひとつであり、「甲子歳」は1924年であると判断した。榛原の言うように六十年も以前の牌だとするのは、この牌の古びた感じに影響された誤解であり、無理な話である。もし、「晩涼」牌の図柄が六十年前から二十世紀の自由麻雀の時代までしっかりと伝統として継承されたというのであれば、この六十年の期間にずいぶん数多くの同じような麻雀牌が制作されたはずである。技術の継承とはそういうものである。そうだとすると、1920年代までの六十年間に作られた同種の牌が一つも残っていなくて、この年代になると突然にいくつも同じような構成のものが現れるというのは、いかにも不自然な話なのである。

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