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(二)「絵合せかるた」の研究史

御船印絵合せカルタ
御船印絵合せカルタ(東京国立博物館蔵、
『日本の美術32遊戯具』、江戸時代前期)

絵合せかるたについては、研究の蓄積が乏しい。山口吉郎兵衛の『うんすんかるた』は、まず「外来カルタ」を扱い、次いで「貝覆・貝覆系統カルタ」を扱った。後者の「貝覆・貝覆系統カルタ」では、さらに細分化され、「貝覆」「歌貝」「歌カルタ」「絵合カルタ」と進む。ただし、まとまった考察と記述があるのは「歌カルタ」までで、「絵合カルタ」の部分はまだ所蔵のかるたの列挙、紹介の途中であり、そのまま、各種のかるたに関連する資料編に移っていく。つまり、山口吉郎兵衛は、江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)の絵合せかるたの貴重な遺品を蒐集したことでこのかるたについて研究する基盤を作り出したという大きな功績は残したものの、研究は未完で、論述もないのである。山口がもしこれだけの蒐集をしていなかったら、その後の絵合せかるた研究は不成立のままに終わってしまったのではないかと思われるから、その功績は特筆に値すると思うが、しかしその研究の成果が残されていないのは残念である。

ここで山口吉郎兵衛が蒐集して滴翠美術館が所蔵している絵合せかるたを『うんすんかるた』の記述にそって制作年順に整理してみると、寛永年間(1624~44)の「能狂言絵カルタ」[1]断片十二枚、慶安年間(1648~52)頃の「女武者絵カルタ」[2]断片三十九枚、延宝年間(1673~81)の「二十四孝絵合せカルタ」[3]二十四対、延宝年間(1673~81)頃の「櫛形中古三十六歌仙絵入哥カルタ」[4]三十六対、延宝年間(1673~81)頃の「大名船印絵合せカルタ」[5]四十八対、貞享年間(1684~88)の「職人尽絵合せカルタ」[6]五十対、貞享年間(1684~88)頃の「自讃歌絵入歌カルタ」[7]百七十対、元禄年間(1688~1704)の「唐土武者絵合せカルタ」[8]五十対、元禄年間(1688~1704)の「士農工商器財絵合せカルタ」[9]四十七対、元禄年間(1688~1704)頃の「貝合絵入歌かるた」[10]三十六対、元禄年間(1688~1704)頃の「貝源氏絵入歌カルタ」[11]五十四対、元禄年間(1688~1704)頃の「伊勢物語絵入歌カルタ」[12]二百九対などになる。

この中で、最も古い時期のものと考えられているのは画帖に貼られた寛永年間(1624~44)の「能狂言絵カルタ」の断片十二枚である。十二枚の内容は、能の曲目が四枚、狂言の曲目が八枚で、漢字札が八枚、仮名札が四枚である。これは「能狂言合せかるた」という一組のかるたの残欠十二枚であるのか、「能合せかるた」の残欠四枚と「狂言合せかるた」の残欠八枚の、二組のかるたの混合であるのか判然としないし、同一の曲目で漢字札と仮名札の二枚が揃って残っている例がないので、「合せかるた」である確証もないが、同時代の、三池カルタ・歴史資料館蔵のものを参考にして推測すれば、能や狂言の曲目について、「シテ」と「アド」のような登場人物の図像が描かれた二枚の関連する札があり、一枚には漢字で曲目名が書かれ、もう一枚には平仮名で同じ曲目名が書かれていたものと考えられる。遊技の場面では、曲目の表示をヒントに二枚を合せるのであるが、対となる二枚の絵札を並べて見てみると能や狂言の舞台の役者が向き合う情景が一枚の絵札よりもはるかに表現力豊かに浮かび上がる。そして、例えば「太郎冠者」のように様々な曲目に登場する役柄については、誤解を避ける必要があり、それがどの曲目の「太郎冠者」であるかを示すために文字による曲目の表示が不可欠である。

貝合絵入歌かるた
貝合絵入歌かるた
(滴翠美術館蔵、『うんすんかるた』)

だが、前代からの貝覆いとの関連が最も色濃く、様式としては最古のものとも考えられるのは、絵合せかるたと言うよりも古型の「歌合せかるた」の一種と考えた方がよさそうにも見える、かるた札の制作された時期は元禄年間とされる「貝合絵入歌かるた」三十六対ある。これは、貝覆いで言えば出貝に相当する上の句札に「すたれ貝、わすれ貝、梅の花(うめのはな)貝、花(はな)貝、桜(さくら)貝、ますほ貝、むらさき貝、白(しら)貝、撫子(なでしこ)貝、なみまかしは、碪(きぬた)貝、枕(まくら)貝、錦(にしき)貝、色(いろ)貝、ほらの貝、都(みやこ)貝、浦うち(うらうち)貝、さたえ、ちとり貝、すゝめ貝、いたや貝、あこや貝、あはひ、片(かたし)貝、うつせ貝、身なし(みなし)貝、あさり、しほ貝、物あら(ものあら)貝、かたつ貝、あし貝、みそ貝、はまくり、蜆見(しじみ)、小(こ)貝、千種(ちくさ)貝」の三十六種の貝殻が描かれている絵があり、その図像も参考にしながら各々の下の句札と合わせるものである。山口吉郎兵衛の『うんすんかるた』でこのかるたの説明を読み、掲載されている「わすれ貝(図像の表記は忘貝)」「いたや貝」「すたれ貝」「桜貝(図像の表記は櫻貝)」の札の図像を見ると、貝覆から絵合せかるたへの変身の瞬間を眼前にしているような気持ちになるが、私の錯覚であろうか。

なお、絵合せかるたや歌合せかるたを貝覆の遊技と結び付けて理解するのは江戸時代前期(1652~1704)の流行であり、三池カルタ・歴史資料館蔵の貞享年間(1684~88)頃の「貝型源氏歌カルタ」[13]、同館所蔵の「源氏物語歌カルタ」[14]、上に紹介した滴翠美術館蔵の元禄年間(1688~1704)頃の「貝源氏絵入歌カルタ」[15]などもある。


[1] 山口吉郎兵衛『うんすんかるた』、リーチ(私家版)、昭和三十六年、一四二頁。図像の公開された例を知らない。

[2] 「特集❶日本のかるた」『季刊銀花』第十三号、文化出版局、昭和四十八年、一八頁。『別冊太陽いろはかるた』、平凡社、昭和四十九年、一二〇頁。『古典の遊び日本のかるた 文藝春秋デラックス』第一巻第八号、文藝春秋社、昭和四十九年、一三頁。

[3] 山口吉郎兵衛、前引注1『うんすんかるた』、一四一頁。

[4] 前引注2『別冊太陽いろはかるた』、一一二頁。滴翠美術館名品展開催委員会『滴翠美術館名品展 茶陶とカルタを中心に』、小田急百貨店、昭和五十三年、一八八番。『歌留多』平凡社、昭和五十九年、一六八頁。

[5] 前引注2「特集❶日本のかるた」『季刊銀花』第十三号、一九頁。前引注2『別冊太陽いろはかるた』、一二〇頁。前引注4『滴翠美術館名品展 茶陶とカルタを中心に』、一九四番。

[6] 前引注2「特集❶日本のかるた」『季刊銀花』第十三号、一六頁。前引注2『別冊太陽いろはかるた』、一一八頁。前引注2『古典の遊び日本のかるた 文藝春秋デラックス』第一巻第八号、一四頁。前引注4『滴翠美術館名品展 茶陶とカルタを中心に』、一九一番。「特集日本のカルタ」『古美術』第六十九号、三彩新社、昭和五十九年、一三頁。前引注4『歌留多』、一八〇頁。

[7] 前引注2『別冊太陽いろはかるた』、一一四頁。前引注6「特集日本のカルタ」『古美術』第六十九号、八頁。

[8] 前引注2『古典の遊び日本のかるた 文藝春秋デラックス』第一巻第八号、一二頁。前引注5『滴翠美術館名品展 茶陶とカルタを中心に』、一九五番。

[9] 山口吉郎兵衛、前引注2『うんすんかるた』、一四二頁。

[10] 山口吉郎兵衛、前引注2『うんすんかるた』、一三五、一五〇、二五四頁。

[11] 前引注2『別冊太陽いろはかるた』、一一〇頁。前引注2『古典の遊び日本のかるた 文藝春秋デラックス』第一巻第八号、一〇頁。前引注4『滴翠美術館名品展 茶陶とカルタを中心に』、一八七番。前引注6「特集日本のカルタ」『古美術』第六十九号、七頁。

[12] 前引注2『別冊太陽いろはかるた』、一一六頁。前引注2『古典の遊び日本のかるた 文藝春秋デラックス』第一巻第八号、一〇頁。

[13] 三池カルタ記念館『図説カルタの世界』、同館、平成十四年、一三頁。

[14] 前引、三池カルタ記念館『図説カルタの世界』、一五頁。

[15] 円地文子『源氏歌かるた』、徳間書店、昭和四十九年。

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