(一)『雍州府志』が書き漏らした「絵合せかるた」

江戸時代前期(1652~1704)の基本文献、『雍州府志』を読んで困惑する一つのポイントは、それが江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)に京都を中心に盛んに用いられていた「絵合せかるた」の札の制作、販売にも、その遊技法にも言及していないことである。私は、江戸時代初期(1603~52)から盛んに用いられていた、貝覆いの遊技に由来する一対・二枚の絵合せかるたの遊技から、江戸前期(1652~1704)の終盤ないし中期(1704~89)の始まりに一紋標・四枚のカードを用いて、手札で場札を釣り取るフィッシング・ゲームが派生したと考えている。フィッシング・ゲームは日本に固有の遊技法であり、諸外国にはあまり例を見ない。そこで欧米の研究者も、フィッシング・ゲームの母国は日本と考えている。なお、世界各地のタロット遊技の歴史について最も充実した著作を著したイギリスのマイケル・ダメットは、中国起源説を採っている[1]。だが、文献史料、物品史料共に日本に関する研究は不十分な中での認識であり、日中両国のカルタ史を比較研究したうえで日本起源説を積極的に否定する趣旨のものではない。

黒川は「絵合せかるた」に触れることがなかった。時期的に見て、フィッシング・ゲームに言及していなかったことは理解できるが、江戸時代初期(1603~52)から前期(1652~1704)にかけての一対・二枚の絵合せかるたについては不可能であったとは思えない。その発祥の歴史を明らかにする大きなチャンスを逃す結果になったことはとても残念である。

遊技の世界では、全く新しいタイプの遊技がある瞬間に突然変異のように登場するのは海外からの伝来などを除けばごく稀な現象であり、通常は、変化は時間をかけて緩慢に進行する。また、考案された遊技が広く人々の支持を得て広まるのにも、どこかで遊技規則が定められて文書化され、各地に徹底されるというものではなく、もっと自然発生的に広まって行くものであり、それには登場後それなりの空間の広がり、それなりの時間の経過が必要である。こういう観点でかるた史を考えると、絵合せかるたの伝統の中から「花合せかるた」や「天正(合せ)カルタ」のようなフィッシング・ゲームがどういう由来で発祥したのかが関心を呼ぶ。


[1] Michael Dummett, “The Game of Tarot“, Duckworth, 1980. p.62.

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