江戸時代の女性文化の中心に源氏物語の受容があった。それは広く「源氏文化」ないし「源氏物語カルチャ」と呼ばれている。江戸時代の日本においては、源氏物語は、主として公家や大名の世界で長大な作品のままに文芸作品として読み込まれただけでなく、同時に、高い識字率を背景にして成立した木版印刷の梗概書(こうがいしょ)によってあらすじを読み取る多くの女性がいた。また、浮世絵やかるた、すごろくなどの印刷物の形でも広く愛好され、さらに、文字文化の範囲をこえて、着物の模様、菓子の名称から遊女の源氏名まで、近世日本の全期にわたって人々に親しまれてきた。そのさまは、一種の文化現象としてまさに「源氏カルチャ」と呼ぶにふさわしい多彩な展開であった。源氏物語のカルチャ史研究は、小町谷照彦が研究状況[1]を詳細に紹介しているように質量ともに豊富である。
ところで、近世の日本には、源氏物語と同じような「カルチャ」が他にもある。在原業平を主人公とする伊勢物語もその一つであろう。ここでも、物語とともに、それを写したかるたや、業平関連の衣裳や器物が愛好された。伊勢物語の研究は、源氏物語と比較すれば手薄であったが、神奈川県の芦澤新二が蒐集と研究に取り組み、鉄心斎文庫・伊勢物語文華館に集められた文献、史料は国文学研究資料館に保存されている。また、藤島綾の研究[2]もある。ここに「伊勢物語カルチャ」が見えると思われる。
だが、なんといっても大きいのは、「百人一首カルチャ」である。百人一首カルチャは、源氏物語カルチャとならんで、江戸時代のさまざまな文化の領域で通奏低音として脈々と流れているとともに、時に高音のメロディーとなってきらびやかに奏でられている。近世の日本は、源氏物語カルチャと並ぶ、百人一首カルチャの時代でもあった。「百人一首歌合せかるた」はこうした百人一首カルチャの主役の一つであった。
百人一首を「カルチャ」として理解する研究者の数は、しかしながら、源氏物語の場合に比べてはるかに貧弱である。ただ、百人一首かるたや源氏物語かるたという形態のカルチャは、江戸時代初期 (1603~52)から登場して、それ以後の時代にも、常に人々のカルチャ享楽の世界で一つの主役の座にあり続けたのであるから、こうしたかるたの歴史を語ることを通じて、近世の百人一首カルチャ史全体の検討にも新しい光を当てることができる。
[1] 小町谷照彦「源氏文化の現在」『講座源氏物語研究第九巻 現代文化と源氏物語』、おうふう、平成十九年、九頁。
[2] 藤島綾、「伊勢物語歌がるた考」『伊勢物語享受の展開』、竹林舎、平成二十二年、四六五頁。同、「二枚の絵札:伊勢物語かるたをめぐって」『国文学研究資料館紀要』第四十二号文学研究篇、人間文化研究機構国文学研究資料館、 平成二十八年、九三頁。