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(三)地方版かるた遊技の一種、会津の「下の句かるた」

ここで奇妙なのは会津地方である。この地域では、幕末期(1854~67)までに、下の句を読んで下の句札を取る「下の句かるた」と呼ばれる遊技法が発達して、それ専用に用いる「板かるた」が考案されたとする理解がある。「わが衣手は露に濡れつつ」と読んで「わが衣手は露に濡れつつ」の札を取るというのであるから、和歌の三十一文字の構造が無視されていて、「犬も歩けば」と読んで「い」の札を取るいろはかるたと同じことになる。これでは、そもそも三十一文字で成立してきた万葉集以来の和歌の文化的な伝統は消滅してしまう。和歌を学ぶ必要もなくなり、百人一首を用いた遊技法としては歌人像で遊戯する「坊主めくり」と並ぶ幼稚なものである。実際、会津地方のかるたでは、下の句札の頭文字が大きく書かれていて、和歌ではなく文字の記号で札を争奪する遊技として便利になっている。遊技法も、ひたすらに札を取るスピードを競うスポーツ遊技となっていて騒々しく遊ばれ、跳ね上げた札がふすまに刺さったとか、天井板に当たったなどという勇猛ぶりが自慢の種である。会津地方における和歌文化の理解がいかに不十分であったのかを示すが、一部の関係者はこれを恥じるのではなくむしろ誇りにしているようで、なんとも奇妙である。また、下の句木札の頭文字の書きぶりが独特で美しく、書の芸術作品だとされ、代表的な書家の作品には高額の価格で売り出されている。これも奇妙である。

木板製のかるたは、明治時代前期(1868~1887)に、戊辰戦争に敗戦して追放された旧会津藩の人々などによって北海道に持ち込まれて、この地方で室内スポーツ遊技として定着したが、他の地方では類似の遊技法は報告されていない。

北海道の板かるた(制作者不明、昭和後期)
北海道の板かるた(制作者不明、昭和後期)

ところが、最近、「板かるた」が会津発祥であるとして高く評価する論者[1]が現れた。会津発祥であるということそのものが史実を無視した主張である。さすがに江戸時代初期(1603~52)から木板製のかるたが全国に存在していた史実が無視できないのか、上の句札も下の句札も木版製のかるたはカードの素材を単に紙片から木片に代えただけの前史的な存在であり、「板かるた」の独自の存在価値は下の句札に限って板にした点にあるのであり、その発祥の地が江戸時代後期(1789~1854)の会津だというのである。「下の句板かるた」の遊技法は素早さを競うスポーツであり、和歌かるた史の範囲を逸脱しているのでその発祥が会津であるか金沢であるか、その他北陸、東北のどの地方であったのかどうかはかるた史研究にとっては研究の対象外の事象であって関心を引かないが、それはさておき、木板製の「百人一首かるた」という遊技具の発祥を会津地方であるとするのが史実に合わないことは明白である。

吉海は、明治時代(1868~1912)に、「会津はもとより白河、米沢、天童、宮城、越後でも古い板かるたが見付かっている。これによって、会津周辺で板かるたが遊ばれていたことがほぼ証明された」[2]としている。北陸や東北の諸地域で遊ばれていたことを偲ばせる木板製のかるたが発見されることは以前から知られていた既知のデータであるが、そのことがなぜ「会津周辺」での流行と評価替えされるのか、肝心の史料批判がまったく欠落しているので理解できない。この程度の論理で会津中心地説が言えるなら、「加賀はもとより、越前、能登、越中、飛騨、木曽でも古い板かるたが見つかっている。これによって、金沢周辺が発祥の地で板かるたが遊ばれていたことがほぼ証明された」という金沢中心地説も言えるし、秋田中心地説でも、仙台中心地説でも、奈良中心地説でも松江中心地説でもいえる。一般的には、製作コストの安い木板製のかるたは、江戸時代には日本各地の山間部で作られていたと考えられており、どこが発祥の地であるのかは不明であって、それを会津の流行の影響とする史料は存在しない。吉海に通常の理解を覆す新説を唱えるだけの新史料があるというのであれば見たいものであるが、これまでの吉海の自説主張の手法からすると、決定的な新史料は不在であろうと危惧される。

また、会津地方における「下の句かるた」の成立を文化・文政年間(1804~30)とするのも史料の根拠のない主張である。「下の句かるた」という遊技法は読み札に和歌の下の句も表記されていないと成立しない。読み札が上の句だけだと、和歌に暗いであろう読み手にはそれを見て下の句を発声することができないので、「秋の田ので始まる歌の下の句って何だっけ」になってしまって遊技が成立しない。そして、全文表記のかるたが登場したのは金沢の例を見ても早くても幕末期(1854~67)と思われるので、半世紀も以前の文化・文政期(1804~30)に遡るとは考えにくい。そんな時期の全文表記の読み札はおよそ見たことがない。吉海が論拠とするのは、京都の田中玉水堂が販売した、収納箱の表面に「会津特産」という宣伝文句がついた紙片の貼られた商品であり、昭和前期(1926~45)のものであろうか、これをもって江戸時代からこの種のかるたが存在したことを証明できる資料だとすることはできない。これ以外は文献史料が掲げられているが、いずれも実証性に疑問の多い近代になってからの又聞きの回顧談であり、史料としての信頼性に欠ける。要するに会津発祥説は、近代の福島県に、この地方には江戸時代から板かるたの伝統があったとする伝承があったということ以上には何も証明されていないのである。


[1] 吉海直人「板かるたの歴史―会津発祥説の検討―」『同志社女子大学日本語日本文学』第二十五号、同志社女子大学日本語日本文学会、平成二十五年、

[2] 吉海直人、同前「板かるたの歴史―会津発祥説の検討―」、六〇頁。

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