バブコック「自由麻雀」牌

1920年代にバブコック(Joseph Bubcock)がアメリカに輸出した麻雀牌の中に、四枚の「一筒」牌の各々で、筒子の中央に「自」「由」「麻」「雀」と彫り込まれたものがある。たまたまその牌のうちのひとつがモデルになってオランダで麻雀のトランプ状の紙牌が作られて、それが大ヒットして欧米各国で流行したので、「自由麻雀」牌はさらに広く普及した。

この場合、「自由」という言葉には、三つの意味が考えられる。一つは、自由に麻雀をしたいということである。だが、1920年代の中国では麻雀は禁止されていなかったのであるから、この理解は成り立たない。二番目は、政治スローガンとしての「自由」であり、自由のために闘うぞ、という気概を現した牌ということになる。1920年代には、こういう政治主張的な麻雀牌があったことは事実であるが、すでに辛亥革命から十年以上たっており、いまさら自由を主張する時代ではなかったであろう。そうすると、残るのは、麻雀のスタイルが自由であること、特に、麻雀牌の図柄が自由であるということである。1920年代の中国には、図柄を自分の好みで自由に変えてもよいという、オーダーメイドの麻雀牌があったのではないか。

ここで思い出されるのが、アメリカの民族学者、スチュワート・キューリン(Stewart Culin)が1909年に上海市の麻雀牌製造者を訪れた時の記録である。キューリンはここで、店の者からこういわれたと記録している。「この骨牌には、決まった標準的な形があるのではなく、客の注文であるならばどのようなものでも対応できるようにしている」。なるほど、これは自由麻雀であると思う。

麻雀の歴史には、「自由麻雀の時代」と呼べるような時期があったのだろうか。そこには、どんな麻雀牌が現れ、自由な時代、自由な精神、自由な芸術がどのように自分の姿を映し出していたのであろうか。

ここで話題をいったんは別の世界に飛ばさせていただく。麻雀博物館には、ミステリアスな麻雀牌がいくつもあって、探求心を刺戟される。関係者の努力によって、世界の麻雀研究者があこがれる麻雀史研究の宝庫となっていたが、そこに、「万子」の牌が「品子」になっている大ぶりの牛骨製の牌がいくつかある。「一万」が「一品」、「三万」が「三品」である。こういう「品子」牌は、福建省で今でも使われていて、福建出身の華僑の多いベトナムやタイなどでも売っている。もちろん、麻雀博物館にはそういうものもあって、展示されている。大ぶりのものは、福建麻雀牌の古い形であるように思われる。

梅蘭芳牌
梅蘭芳牌

この、「品子」牌は曲者で、変わった特徴が多い。麻雀博物館の所蔵品のうちのひとつは、1925年の「北京善後会議」を記念した「北京善後会議」牌とでも呼ぶべきものである。文字牌が、三元牌が「北」「京」「白」牌、風牌が「善」「後」「会」「議」牌になっている。もう一つは、当時の有名な京劇俳優である梅蘭芳の特注による「梅蘭芳」牌で、文字牌は、三元牌が「演」「劇」「白」牌、風牌が「遊」「龍」「戯」「鳳」牌である。三つ目は、「萬里」牌と呼ぼうか、三元牌が「萬」「里」牌で、風牌が「青」「山」「白」「雲」牌で、いかにもゆったりとした風景を表している。また、同じような時代、同じような大きさの牌で、文字牌が「東」「南」「西」「北」牌になっているものもある(三元牌のうち「白」牌は残っているが「中」「發」牌は欠落)。これは、「品子」牌に、普通の文字牌を使ったものもあったことを示す史料である。

このほかに、浅見了のホームページ「麻雀祭都」には、これらと同時期に作られたと思われる、南宋初期の忠誠の武将「岳飛」を題材にした牌がある。文字牌は、三元牌が「岳」「飛」「白」牌で、風牌が「尽」「忠」「保」「国」である。「岳飛」牌と呼びたいところであるが。所蔵者の浅見がつけた名称を尊重して「尽忠保国」牌と呼んでおこう。

これらの牌は大変に似かよっている。収納箱がボックス型であること、牌が大ぶりであること、「品子」を使っていること、「一索」牌の鳥が定型的なツバメであること、花牌が八枚あることなど、いくつもの共通の特徴がある。圧巻なのは、堂々とした文字や図柄の彫り方がそっくりであることと、花牌は各々の牌でテーマに合わせて図柄が違うが彫り方はそっくり同じで、使われている顔料の色調も同じであることであろう。彫りが全体にすばらしく上手であることもあって、文字牌と花牌は、同一の名人彫り師の制作したものといってもよいようである。

ただし、これらの牌では、索子や筒子の図柄が一致しない。この部分には、名人でなくとも彫ることのできる普通品レベルの牌が使われている。また、四枚の「一筒」牌の円の中心に制作者の名前が掘り込まれている。「梅蘭芳」牌では「永」「成」「康」「造」であり、「北京善後会議」牌では「朱」「恒」「生」(一枚欠落。「造」であろう。)である。「萬里」牌では、使用によって図柄が摩滅していて判読が難しいが、四枚の各々に文字があったようである。「尽忠保国」牌の場合は、ホームページにその情報が載っていないので分からないので所蔵者に問い合わせたところ、特に文字は彫りこまれていないということが分った。このように、制作者の名前が違うのであるから、複数の制作者によって彫られたものと考えたい。

このように、複数の製造者の牌があって、お客の注文であろうか、特注品の特注の牌だけが名人クラスのすばらしい彫りであるとすると、想像できるのは、上海や蘇州の麻雀牌製造業者の間に自由麻雀のオーダーを受ける風潮があり、注文が来ると、特注牌だけ、白牌の状態で名人彫り師に届けて彫ってもらう、という家内生産方式の制作方法である。文字牌と花牌については一人の名人彫り師が、複数の麻雀屋の注文に応じて彫ったのではないかと想像されるのである。

これらの牌はおおむね1920年代のものである。どうやら、この時期には、こういう変わり牌作りが盛んだったようである。バブコックがいうところの「自由麻雀」、キューリンが言うところの「客の注文に応じる麻雀牌」とは、辛亥革命による圧制的な清朝の崩壊が生んだ自由な時代精神のあり方と、増大する需要を追い風にして技術を向上させて、彫りの冴えを示すようになった麻雀の彫り師たちの自由な芸術精神が交錯して生まれた、力強く、美しい、個性ある麻雀牌の傑作であったように思われる。そして、この時期の麻雀牌の制作地は、上海と蘇州が有名であった。この時期には、辛亥革命で清朝の支配が崩壊した後の自由で奔放な空気の中で、欧米列強と日本による植民地支配で活気を帯びていたのが揚子江(現長江)流域の地域であり、その中心都市である上海などに、自由麻雀が広まったと思われる。自由麻雀もまた、賭博系の遊技の発達史では当たり前のことなのだが、時代の子、経済力のある地域の子であったのだ。

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