(一)歌合せかるたは女性の遊技具

古今和歌集加類多(制作者不明、  三池カルタ・歴史資料館蔵、江戸時代中期)
古今和歌集加類多(制作者不明、
三池カルタ・歴史資料館蔵、江戸時代中期)

蛤貝の貝殻は一対の相手としか合わないことが、夫婦の末永い和合を願う婚礼にふさわしいとして、江戸時代には、上流階層の女性の嫁入り道具にこの貝殻を材料に用いた貝覆の遊技具が加えられた。実家が裕福であれば、それだけ豪華なものが持参された。

これを真似して、和歌の歌合せかるたも、花嫁の嫁入り道具に数えられるようになった。実家が裕福であれば、その富を背景にして、各種の手描きのかるたが持ち込まれた。『源氏物語歌合せかるた』は五四対・一〇八枚で人気が高く、二〇八対・四一六枚の『伊勢物語歌合せかるた』が続いた。『古今集歌合せかるた』は一千対・二千枚を超える規模で、作られても実際に遊ぶときは、歌集の一部分、たとえば「春の部」の和歌などを切り離して使ったようである。また、上流階級の家に残されている高級なかるたの中には、ひたすらに豪華に作られていて、最初から妻の実家の権勢を誇る床の間の飾り専用と思えるものもある。

だが、一般には、江戸時代の女性はかるたを単に飾りとして嫁ぎ先に持ち込んだだけでなく、実際にこれを使って和歌のかるたの遊びに興じた。嫁入り先の人間たちとの良好な関係の構築にはこの遊技が役に立つことが理解できた。また、『百人一首』などの和歌の版本が御家流などの書道の手本として用いられたことも、女性と和歌のかるたの関係を深めた。今日に残されているこの時代の絵画、書籍、文書などで和歌のかるたを遊んでいる場面を調べると、ほとんどの場合、描かれているのは女性と子どもである。そうした意味では、これは江戸時代の全期を通じて、女性たちが守り育ててきた文化的な伝統であった。

江戸時代の日本は、同時代の諸外国に比べると驚異的に識字率が高い国であった。紙の生産も盛んで、多くの人々が、読み書きができた。こうした社会を背景に、和歌のかるたは大量に制作されており、今日でも、相当数が残されている。中でも「小倉百人一首歌合せかるた」が圧倒的に多い。旧家を訪ねて、土蔵から出してきたかるたを見せてもらう機会も多かった。各地にある小さな博物館や骨董店の店先でお目にかかることもある。長い年月を経て痛みも激しく、ぼろぼろになったかるたが多い。枚数も不足していることが多い。人々は、なぜ、こんなに痛んだ使用済みの不揃いのかるたを捨てなかったのであろうか。

残されてきたかるたを見ていると、一般庶民向けの安価で簡素なものであっても、そこには、江戸時代に、乏しい稼ぎの中で精一杯すてきなかるたを選んで買って娘に持たせて、嫁入り先での幸せを願った親の気持ちと、わずかの制作コストであっても、こうした購入者の気持ちに応えようとできるだけ美しくかるたを仕上げた職人の心尽くしと、そして、嫁入り先で実際に夫の家族とともに遊びに興じ、家族の一員として受け入れてもらいたいと切に望んだ花嫁の願いがよく分かる。

家族の中でかるたの遊びが繰り返され、札の痛みや不足から新しいかるたを購入しても、長年使ってきた古いほうのかるたを捨てきれないでしまって残しているところに、持ち主の女性の、そのかるたで遊んだ若い頃の楽しかった思い出と、長い人生をともにしてきた器材への愛着の気持ちがほのかに見える。もちろん、これを持たせてくれた親への感謝の気持ちも込めてであるが。

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