明治初年のお雇い外国人にはドイツ人も多くいた。彼らは東京に「東アジア自然科学、民族学ドイツ協会」を設立して早くから研究に励んでいた。東京医学校で語学教師を勤めていたルドルフ・ランゲ(Rudolph Lange)はそのメンバーであり、明治九(1876)年にいろはかるたに関する「再論:日本のことわざ数点」[1]という題名の報告をした。これは、このかるたに関する初めての学術的な研究の論文であったが、次のような内容のものであった。
再論:日本のことわざ数点 1. Inu mo arukeba bö-ni ataru 1.「犬も走りまわれば打撃に会う」。 予想外の幸運が起きたとき人は冗談でこういう。 ‥‥(中略)‥‥ 48.Kiöto-no jume Oszaka-no jume. 48.「京都の夢、大阪の夢」。 この格言は故郷への思慕を表している。それは夢の図像の中に浮かんでいる。 これらの四十八の格言はいろはがるたと呼ばれるかるたにあり、子どもたちは新年の最初の日にこれで遊ぶ。いろはは周知のように一定の序列で用いられる日本語の音節の始めの部分である。注意するべきは「kio」(「京」のこと)が末尾に付け加えられていることである。四十八枚の各々にもう一枚のカードが付属していて、それには格言に関連する図像があり、左上にその格言の最初の音節がある。 |
[1] Rudolph Lange, “Noch einige Japanische Sprichworter.” Mittheilungen der Deutschen Gesellshaft für Nature-und Völkerkunde Ostasiens. Heft 1, s.34、1876.