ベルショー『花札』表紙
ベルショー『花札』表紙

C.M.ベルショー(C.M. Belshaw)は、パーマーと同時期に横浜に滞在していた人であり、パーマーの報告の一年後、明治二十五年(1892)九月に、遊技法「八八」の英文の入門パンフレット、“HANA FUDA,The Japanese Flower Game, more commonly known among the Japanese as Hachi-ju-hachi or Eighty-eight” を表わした。私は、この人物についても、この書についても全く知らなかったが、近年これに接する機会を得て、興味をそそられた。 

ベルショーという人間については、他に情報はない。国籍も、年齢も、職業も、家族も知らない。この書は、本文九頁の小パンフレットであるが、奥付の情報はそもそも欠落しており、書物の正体はよく分からない。わずかに、表紙の下部に“Price……50 SEN”とあるので、日本国内で滞在中の欧米人に販売する計画であったと思うが、それだけなのか、それとも、欧米にも輸出してその地のカードゲーム好きの人たちに販売、配布する計画であったのかは知らない。 

このパンフレットで紹介されている「八八花札」の遊技法は正確である。ベルショーは、序文の中で、このゲームの規則の元になったデータを教えてくれたことと、実際にベルショーと遊戯してこのゲームの楽しさを知らせてくれた日本人、Mr. Katsu Nakajima への謝辞を述べている。Nakajimaは多分この時期に横浜に滞在していた通訳か貿易にかかわる日本人の商人であろうが、よくやっていると思う。  

私は、イギリス、オックスフォード大学のボドリアン図書館に収蔵されているもののコピーを使用しているが、他にこのパンフレットがどこの図書館に所蔵されているのかも知らない。個人のコレクションにあることも聞いたことがない。 

この書で私が最も関心をもったのは、札の呼称である。この時期には、花札が「八八花札」の流行によってブームを呼び起こし、一気に広まった。その過程で札の呼称や遊技のルールなどにさまざまなバリエイションが生まれている。その際、特に外国人の場合は初めて接するこの不思議な遊技具の印象が人によってずれるところがあり、そこが面白いのである。ベルショーの場合は次のように理解されている。 

1月…Matsu、Pine(松+鶴、松+赤い旗又はバナー、素札2枚)

2月…Ume、Plum(プラム+鳥、プラム+赤い旗、素札2枚)

3月…Sakura、Cherry(札の半分を占める桜花の枝・残り半分は単純な色彩、桜+赤い旗、素札2枚)

4月…Fuji、Wisteria(藤+鳥、藤+赤い旗、素札2枚)

5月…Ayame、Iris(アヤメ+札の下部の黄色の橋、アヤメ+赤い旗、素札2枚)

6月…Botan、Peony(牡丹+蝶、牡丹+青い旗、素札2枚)

7月…Hagi、Bush Clover(萩+猪、萩+赤い旗、素札2枚)

8月…Tsuki、Moon(月(芒?)月、月+ガチョウ(geese)(雁、wild goose?)、素札2枚)

9月…Kiku、Chrysanthemum(菊+赤い鉢又はカップ、菊+青い旗、素札2枚)

10月…Momiji、Maple(紅葉+鹿、紅葉+青い旗、素札2枚)

11月…Yanagi、Willow(柳+傘をさす男、柳+鳥、柳+赤い旗、素札1枚(この紋標の札はすべて、手役のAka、Tan-Ichi、To-Ichi、Hikari-Ichi、Karasuの際は素札として扱ってよい)

12月…Kiri、(a native tree)(大きな桐の葉と濃厚な彩色、素札3枚)

ベルショーの説明は主として日本人、Mr. Katsu Nakajimaからの口頭の教示によるものであろう。特に興味深いのは、二月のUme→Plum、八月のMoon、十二月のKiri→a native treeである。日本の梅はJapanese Apricotであるが、口語ではPlumとされることも多いので、ここはベルショーの側での意訳であろう。八月のMoonは、当時は八月の紋標を「月」と表現することが多かったので、ベルショーはMr. Nakajimaの説明を素直に英語化しただけなのであろう。十二月のKiriは、ベルショーに知識が不足していてpaulownia と翻訳できなくて、日本の固有種という抽象的な説明になったのであろう。ただし、ここで鳳凰を理解できなくて単に「濃厚な彩色」としたのはいただけない。そして、振り返ってみると、一月は「松に鶴」であって、一般には「日輪に鶴」と説明されるのとはずれていて、「日輪」の説明が抜け落ちている。これでは、日を表わす一月、月を表わす八月、星を表わす十二月で、合わせて天空で輝く「三光」だという江戸中期以来の役のいわれも分からなくなる。また、十一月の「柳に傘をさす男」の図像では、主役の「柳の枝に飛びつく蛙」が抜けている。ベルショーの観察に際しての情報不足が分かる。ただし、古い時期の「武蔵野」には「柳に夕立の中を黄色のカラ傘をさして走る男」が描かれており、これの説明で「走る」を外してしまうと「柳に傘をさす男」という表現になってしまうから、もしかしたらこちらのカードを見たのかもしれない。 

この、はなはだ興味深い観察を理解するために、同時期に同じ横浜に滞在していて、「アジア協会」で花札の報告を行ったパーマーの理解を示そう。パーマーは、情報源となったMr. M. YokoyamaとMr. Tsuneta Mori、とりわけ前者への謝辞を述べている。 

1月…Matsu、Pine(日の出に鶴) 

2月…Ume、Plum 

3月…Sakura(Maku)、Cherry(御殿桜) 

4月…Fuji、Wisteria  

5月…Ayame(Kakitsubata、Negi)、Iris 

6月…Botan、Tree-Peony 

7月…Hagi、Lespedeza 

8月…Susuki(Bozu、No)、Eularia Japonica(大野に月) 

9月…Kiku、Chrysanthemum 

10月…Momiji、Maple 

11月…Yanagi(Ame、Shigure)、Willow(大雨) 

12月…Kiri、Paulownia(桐に鳳凰) 

パーマーは、別称として、三月を「幕」、五月を「菖蒲」「杜若」「葱」と紹介し、八月を「芒」「坊主」「野」と紹介し、十一月を「柳」「雨」「時雨」と紹介している。いずれも当時は紋標の呼称として使われており、取材の確かさを思わせる。なお、十一月を「大雨」と表記する例はあるが、八月を「大野」と表記した例は知らない。 

ここでさらにもう一点、花札の呼称について実例を示そう。アメリカのコレクターで研究者のメイ・ファン・レンセラーが1890年に表した「日本から来たカルタ」という論文である。レンセラーは日本社会とのかかわりは薄く、ここでは、もっぱら日本から伝えられた日本のカルタ札の構成と図像について紹介していて、花札のゲームについての説明はほとんどない。 

1月…pine trees 

2月…plum blossom 

3月…cherry blossom 

4月…hanging tendrils of the wistaria vine 

5月…beautiful blue Iris springing from long spiky leaves 

6月…blood-red peonies 

7月…star-shaped leaves, some yellow, some red, and some black, ‘Hagi’ 

8月…grass-covered mountains  

9月…the Mikado’s flower, a yellow and red chrysanthemum 

10月…a maple tree with red or yellow leaves 

11月…a willow sharply outlined against a leaden sky 

12月…imperial Japanese plant, ‘Kiri’ 

レンセラーが、もっぱら花札の現物だけを見て書いている方法の弱点はあらわである。多くのミスが犯されている。最大のミスは七月の「萩」と十月の「紅葉」の混同である。レンセラーは、七月の植物は「星型の葉」を全面に散らした「萩」であり、そのうちの一枚に「鹿」がいるといっている。これはもちろん、「紅葉」の札を「萩」と勘違いしているのである。逆に十月では「萩」の札を「紅葉」と理解して、その下に「猪」がいると書いている。だが、私は、この弱点は大したことはないと考えている。むしろ、まだ花札の「八八」の遊技法が流行してついにはアメリカにまで到達した時期よりも少し早く、まだアメリカでの花札に関する関心も低かった頃にこれの現物を入手して解説したのは大きな功績であると思う。 

非常に興味深いのは、レンセラーの「柳」の札の説明である。ここでレンセラーが説明しているのは、すでに上のレンセラーの項で説明したように、古いタイプの「武蔵野」である。つまり、レンセラーは、「八八花札」登場以前の一時代古い時期の木版花札「武蔵野」を入手して説明しているのである。カルタ札の現物の入手も、それに関連する情報の取得も、数年後に始まる「八八花札」の時期に比べるとはるかに孤独で困難な作業であったと思う。私はレンセラーの努力とその成果を称賛したいと思う。そして、実際に、レンセラーの指摘は正確である。「松」「梅」「桜」などの判読は正確であるし、文中に「ハギ」や「キリ」という日本語があるところからすると、まったく未知のカルタ札そのものだけを手にしたのではなく、すでに最低限の情報は得ていたように思える。これは、一時代後に、恵まれた研究環境で検討を進めたハーグレイブが著書『プレイング・カードの歴史』で示した所と比較するとよく分かる。ハーグレイブは次のように紹介している。 

1月…Pine、the pine and the stork(コウノトリ) 

2月…Plum、the plum and the singing bird 

3月…Cherry Blossom、the cherry and the curtain 

4月…Wisteria、the wisteria and the cuckoo(カッコウ) 

5月…Iris、the iris and the firefly(ホタル) 

6月…Peony、the peony and the butterfly 

7月…Clover、the clover and the wild boar 

8月…Eularia、the full moon rising over the moor and the seductive silver eularia(草原の野生の雁)   

9月…Chrysanthemum、the chrysanthemum and the wine-cup 

10月…Maple、the deer in the autumn wood 

11月…Willow、the willow and the rain (newer packs / the adventurous flog of the fairy tale and the traveler with his parasol. older packs / the traveler wears the time-honored straw coat(昔ながらの藁のコート), and the frog does not appear at all) 

12月…Paulownia、the paulownia(桐)and the phoenix 

ハーグレイブはこの情報を主としてこの書から得たように見える。“Hana-Awase. The Game of Japanese Cards. Tokio : Kamigataya Honten. Gonza, Kyobashi, Japan. これが日本国内で販売された日本語のものであったのか、それともアメリカ向けに出版された英語版であったのかは分かっていない。日本側の記録では、明治二十八年頃に上方屋は、アメリカ向けに『英譯花かるたの使用本』を出版している。同社の宣伝文章に「近頃米國其他各國とも日本の花ふだを玩弄する事大流行にして勢ひ使用本の必要ありて先般外國より直注文の來りしより出版なす事とせり追ては支那語露西亜語其他の國語にて譯述する見込なれども第一に英語の使用法を今や印刷中なり」(前田喜兵衛『花ふだの憲法』、上方屋勝敗堂、明治二十八年、廣告十六頁)とある。だから、ハーグレイブが英語版を見た可能性はあるが、上方屋が「上方屋本店」と自称していたのは明治二十年代の始めであり、明治二十八年頃には「上方屋勝敗堂」であったので、明治二十年代初頭の日本語の小冊子を翻訳してもらって理解した可能性の方が高い。 

これと関連するのがハーグレイブの理解にある微細な誤りである。ハーグレイブは、一月を鸛(コウノトリ)、四月を郭公(カッコウ)、五月を蛍(ホタル)と表記している。十月は、描かれている樹木の種類が分からなかったのか、「紅葉」と特定せずに「秋の樹木」と表記している。一月、四月はいずれも鳥の画像からくる印象で書いたと思われるし、十月の「秋の樹木」は、比較的知られていた紅葉の葉の形について知らなかったのが奇妙であり、ハーグレイブは必ずしも生物学的に正確な知識を持った翻訳者を使ってはいなかったと思われる。 

また、五月の「蛍」は理解が難しい、問題点であった。元来、紋標「杜若」の札は八つ橋に杜若の図像であり、それを「蛍」としたのは不可解であった。私が研究を始めた昭和四十年代には、八つ橋の杭の上端、木口の部分の画像を蛍と見誤ったとする村井省三の理解が通用していた。だが、のちに私は、実際に空中を飛んでいる蛍二匹を描いた明治二十年代の花札を発見し、また、五月は杜若に「蛍」と明記する上方屋の解説書も発見した。ハーグレイブは誤った図像理解をしていたのではなく、たまたまごく稀な、短期間しか出版されていなかった上方屋の解説パンフレットを参考にしたので「蛍」が飛んでしまったのである。村井の憶測は的を得てはいなかったことになる。この、蛍に触れた解説書は、明治二十年代初期のごく一時期に出版された希書であり、蛍の画像入りの花札もごく珍しい稀少な亜種であった。これを発見できたことは研究者としてとても幸運であった。また、日本国内でも私が発見するまでは誰も知らなかったこのような文献が当時アメリカに渡っていたのは驚きであった。ハーグレイブが参考にしたのは、明治二十年代(1887~1896)初頭の日本語の解説書であったと推測される。 

なお、ハーグレイブは、十一月のカードについて、あたらしいタイプの図像と古いタイプの図像を区別して紹介している。手元もコレクションに右方が他のである。但し、蛇の目傘を「昔ながらの藁(わら)のコート」と説明しており、レンセラーになかった誤解を示している。これにより、ハーグレイブの身辺にはこのあたりの事情を説明できる者がいなかったことと、実はレンセラーの先行業績を十分にはチェックしていなかったことが分かる。 

以上がベルショーに関する私の認識のすべてである。データが不足していることが気がかりであるが、それでも、彼を、レンセラー、パーマーと並ぶ、日本の花札を詳細に世界に向けて紹介した外国人として記録することがふさわしいと思う。 

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