2-4 江戸中期の読みカルタ遊技 三 読みカルタ遊技の「役」 それでは、ここで、勝敗を決する最大の要素である「役」の説明に移ろう。『雨中徒然草』には百に近い役が紹介されており、その各々が私にはとても興味深いものがある。だが、さすがに数が多くて長文になるし、内容も専門的過ぎるところもあるので、急ぐ読者はこれを飛ばして四の結論的な文章に移ってくださっても結構である。
三 「ことば遊びかるた」の広がり (二)庶民文芸のかるたも健在 江戸の町には、雑俳、川柳、狂歌、狂詩などの雑文学や、小唄、端唄、新内節、都々逸などの俗曲が溢れており、これらも大人向けのかるたの格好の題...
4-3 江戸はかるたの王国③「外国語かるた」 二 「倭蘭あはせかるた」 このかるたは、およそ江戸時代後期(1789~1854)のものと思われるが、自然、文物、人を題材にして、事物の名前を示す名詞が、オランド顎、日...
2-2 江戸時代前期の合せカルタ遊技 一 カルタの遊技法「合せ」に言及する史料 江戸時代初期の京都、大坂などには、「合せカルタ」という遊技法があった。だが、その存在を裏付ける史料は少ない。文献では、江戸時代初期(1603...
未分類 六 定家が添削して編纂した、自家の秘密教材たる百首の「歌群」 『百人秀歌冷泉家本』(『百人一首への招待』) 『百人一首』の成立の研究に関して私が疑問に思っているのは、従来の国文学者の『百人一首』成立論で...
一 近代日本人の対外進出と花札 (三)「総理大臣の花かるた」の正体 ちょうどこの時期、明治三十四年(1901)から三十五年(1902)にかけて伊藤博文が欧米を視察する旅行に出かけていたことはすでに述べた。その...
一 中国のカルタ (五)筑後・三池村でのカルタ制作と中国人の関わり カルタが日本に伝来してまもなく、安土桃山時代に武士階級の間にその遊技具への大きな需要が生じたが、それに応じて最初にカルタのカード制作が行われ...