たばこカード加工品・「改良八々花札」
たばこカード加工品・「改良八々花札」

ここで、この時期に創作された、二例の独自色ある花札の図柄について書いておこう。まずは、煙草が民営であった時代に、京都の「村井兄弟商会」が自社の煙草箱に封入した花札図柄の「煙草カード」を実際に花札にしてしまったものである。

「煙草カード」は長方形の厚紙で作られており、最初は輸入された欧米の煙草の景品として始まり、植物カード、歴史人物カード、美食カード、交通機関カード、美人カードなどがもて囃されたが、後に日本の民営煙草会社もこれに追随し、歴史人物カード、軍人英雄カード、軍艦カード、交通機関カードなどとともに、七福神カード、トランプカードなどが次々と制作された。そうした中で村井兄弟商會は特にこれに熱心で様々なものを発行したが、花札のセットは特に突出していた。京都の村井兄弟商會は、明治三十年代(1897~1906)の前半期に、京都のカルタ屋、山内任天堂と共同出資して、アメリカのニューヨーク市でカード制作業を営み、オハイオ州シンシナティー市のUSプレイング・カード社に吸収合併されて、ニューローク市の印刷工場を閉鎖した印刷会社の中古カルタ印刷機械一式を購入、輸入し、京都に「東洋印刷」という欧米の印刷業の技術を持つ会社を立ち上げた。村井兄弟商會はこのアドバンテージを生かして他社の追随できない高品質の煙草カードを生産、封入したのである。なお、山内任天堂は、明治三十五年(1902)頃までに、欧米水準の国産トランプの制作に成功して、「No.1」印として発売した。

たばこカード各種
たばこカード各種
任天堂トランプ「No.1」印
任天堂トランプ「No.1」印
たばこカードの (左より)吟見勲賞札、不見出札、鬼札、幽霊札
たばこカードの (左より)
吟見勲賞札、不見出札、鬼札、幽霊札

村井兄弟商會の花札煙草カードは数種類あるが、従来の物が図柄の一部の窓絵に花札の図像を入れていたのを改良して、全面を一枚の花札図柄で埋め尽くして、四十八種を集めきればそのまま実際に花札として遊技に使うことも可能なものを制作した。そして、どこかのカルタ屋がそれに裏紙をあてがって縁返し(へりかえし)の手法で本格的な花札のカルタ札に仕立てた。それまでの関係からすると、山内任天堂が最有力なのだが、確証はない。そして、「煙草カード」は花札とトランプの兼用であり、右上の小さな長方形の窓絵にトランプ五十二枚の図柄が描かれていたところ、花札は四十八枚が一組なので、余分な四枚のカードができる。村井煙草は、それを、「八八花札」の遊技で使う「幽霊札」「鬼札」「不見出」「吟見勲賞」にあてて、それらも花札型に仕上げた。明治中期(1887~1902)、後期(1902~12)以降の「八八花札」の確立によって、徐々に定番化して平面的になってしまった花札の図柄を、もう一度古い手描き時代の日本画の優美な図柄に戻して描き直そうとした試みであり、実際には、古い日本画ではなく、近代的な日本画の描法となったが、芸術的な仕上がりでいかにも新鮮であった。

なお、ここで骨牌税について述べておこう。骨牌税は、納税のない花札の製造を厳しく禁止しており、表紙(おもてがみ)の印刷に留めたものでも課税対象として、その制作、保管、販売に眼を光らせていたし、一部の札だけの半端品であっても課税対象として監視の目が厳しかった。こういう点からすると、納税なしに煙草の景品として花札(トランプも)を封入するのは一種の脱税行為になるし、そもそも、煙草会社は骨牌税法上の制作免許をもっていないのだからこの印刷、封入は違法行為と言わざるを得ない。しかし、当時はこういう議論は起きなかった。

煙草製造の各社が花札図柄の煙草カードを始めたのは、明治三十五年(1902)の骨牌税法の施行以前であり、課税のない無税の時代に始まった煙草カードに、後発の骨牌税法を適用することにためらいがあったのであろう。私の手元には、実際に五十二枚の「八八花札」に仕立てた煙草カード図柄の花札のセットがあり、裏紙を新調され、縁返し(へりかえし)手法で仕上げられた、立派な一組の花札なのだが、課税された痕跡はない。赤裏、黒裏で二組収められた元箱と思われる紙箱は、製造者の記載がない無地のものであり、骨牌税印紙の貼られた跡はない。札の作りは明らかにプロのカルタ屋の手並みであるのに、制作社名の記載がなく、課税の跡もない。いったい誰がこんなものを作ったのかと不思議に思う。材料の煙草カードを都合してくれる「村井煙草(村井兄弟商會)」と花札に仕上げる制作技術の「山内任天堂」の両社に顔が効く人物が、個人の遊びで何組かを制作させて、周囲の友人、知人にプレゼントしたのだろうか。両社のいずれかの経営者が思い浮ぶが、これにも確証はない。

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