一 歌人絵のある「百人一首かるた」の登場 (七)百人一首かるた絵の起源 以上、江戸時代前期の歌人絵付き百人一首かるたの成立について、現存するかるたの比較分析によって明らかにすることができた。 歌人絵の付いた「百人一首かるた」は、江戸時代前期、万治、寛文、延宝年間(1661~81)に登場したと思われる。その歌人絵は、寛永年間(1624~44)に刊行された版本『素庵百人一首』か慶安年間(164... 館長
一 歌人絵のある「百人一首かるた」の登場 (六)その他の江戸時代前期の歌人絵付きかるた 赤染衛門と周防内持の一人二役 (つくも百首かるた) 「つくも百首かるた」 私は「浄行院かるた」と同じ時期に同じ工房で制作されたと思われる「つくも百首かるた」を所蔵している。古書市での購入品であり、それ以前の履歴は分からない。この名称は私の命名である。カードのサイズは縦が七・四センチ、横が五・二センチ、縦横比率が七十パー... 館長
一 歌人絵のある「百人一首かるた」の登場 (五)「諸卿寄合書かるた」は土佐派の細密絵 諸卿寄合書かるた・収納箱(江戸時代前期) 「諸卿寄合書かるた」は、徳川将軍家の末裔の女性が所蔵していて、没後の遺品整理で売り出されたものを私が購入して所蔵したものである。カードの大きさは、縦が七・六センチ、横が五・九センチで、横幅が縦の長さの七十八パーセントの幅広な歌人図入りの「百人一首かるた」であり、書の特徴から延宝... 館長
一 歌人絵のある「百人一首かるた」の登場 (四)「浄行院かるた」は『素庵百人一首』由来 浄行院かるた・収納箱 (白洲正子旧蔵、『百人一首』) 以前から図像データが公開されているもう一つの江戸時代前期の「百人一首かるた」が「浄行院かるた」である。これは五代将軍徳川綱吉の正室浄光院(このかるたでは浄行院)の遺品とされているもので、横幅が縦の長さの六十七パーセントで「道勝法親王筆かるた」と似た縦横のバランスであ... 館長
一 歌人絵のある「百人一首かるた」の登場 (三)「道勝法親王筆かるた」の歌人絵は『尊圓百人一首』由来 百人一首かるた絵の発祥に関する私の研究は、まずは、すでに情報が公開されていた「道勝法親王筆かるた」と「浄行院かるた」と私が入手した「諸卿寄合書かるた」の歌人絵を詳細に検討するところから始めた。この段階ですでに山口格太郎と白洲正子の厚情を得たことは今振り返っても稀有な幸運であったと思う。そして、研究を進めると、これらのか... 館長
一 歌人絵のある「百人一首かるた」の登場 (二)かるたの歌人絵のモデルは歌仙絵画帖 歌合せかるたにその和歌を詠った歌人の図像を入れるというアイディアは江戸時代前期(1652~1704)、具体的には江戸幕府の四代将軍、徳川家綱の治世、承応年間(1652~55)以降の時期に始まった。これよりも前の時代、江戸時代初期(1603~52)に「しうかく院」の考案で始まった歌合せかるたでは、一首の和歌を上の句、下の... 館長
一 歌人絵のある「百人一首かるた」の登場 (一)百人一首かるた絵の発祥 光琳かるた(尾形光琳筆、江戸時代前期) 江戸時代初期、前期(1603~1704)に各種の「源氏物語歌合せかるた」「伊勢物語歌合せかるた」「三十六歌仙歌合せかるた」など、さまざまな歌合せかるた類が成立した。その中では、「百人一首歌合せかるた」が徐々に好まれるようになった。歌合せかるたでは、和歌が肉筆で書かれている「上の句... 館長