六 江戸期の庶民文化と「百人一首」 (六)和歌文芸の外に成立した「坊主めくり」遊技 「坊主めくり」は、百人一首の構成をビジュアルに理解してもらうにはいいゲームである。これは、裏返しにして積み上げられた一〇〇枚の絵札を順番にめくり、川柳にいう「七十九男で二十一女」だから二一枚ある「姫」のカードのうちから一枚を引いたら場にある札をすべて総ざらえに持ってこれるなどのいいことがあり、同じく江戸時代の川柳に、「... 館長
六 江戸期の庶民文化と「百人一首」 (五)趣旨不明の「漢詩かるた」中国起源説と会津起源説 ここに突然に闖入したのが吉海直人で、平成十六年(2004)の「『花かるた』の始原と現在」で、「漢詩かるた」が中国起源で日本のいろはかるたの「ルーツなのかもしれない」と書いた。「漢詩かるた」が「いろはかるた」のルーツだというのはとんでもない方向違いの憶測で即座に否定されるが、その前提として「中国の漢詩かるた」の存在を主張... 館長
六 江戸期の庶民文化と「百人一首」 (四)白河藩等で盛んだった「漢詩かるた」 中国文化の影響を強く受けている日本では、それにかかわる独特のかるたが江戸時代初期から考案されてきた。なかでも漢詩のかるたは、第一句、第二句を一枚のカードに書き、第三句、第四句をもう一枚のカードに書き、両者を合せ取る遊技として早くから成立した。これを明らかにした功績者は山口吉郎兵衛である。『うんすんかるた』は数点の実例を... 館長
六 江戸期の庶民文化と「百人一首」 (三)地方版かるた遊技の一種、会津の「下の句かるた」 ここで奇妙なのは会津地方である。この地域では、幕末期(1854~67)までに、下の句を読んで下の句札を取る「下の句かるた」と呼ばれる遊技法が発達して、それ専用に用いる「板かるた」が考案されたとする理解がある。「わが衣手は露に濡れつつ」と読んで「わが衣手は露に濡れつつ」の札を取るというのであるから、和歌の三十一文字の構造... 館長
六 江戸期の庶民文化と「百人一首」 (二)「百人一首かるた」文化の地方化 「百人一首かるた」が全国的に流行するのにつれて、各地でその地方に固有の特色を帯びるようになった。まず、遊技法では、カードの配布方法や並べ方、役札の範囲なども微妙に異なるホーム・ルールができあがるが、和歌の読み方に地方色が出てくる。 以前に、画家の安野光雅は、「わが津和野は昔から百人首が盛んで、それは今の子どもたちにも受... 館長
六 江戸期の庶民文化と「百人一首」 (一)庶民文化が取り込んだ「百人一首」 百人一首は、和歌文化の範囲を超えて、江戸時代の文芸に広く影響した。岩田は、俳諧、とくに雑俳の「小倉附け」「小倉笠」の果たした役割の重要性を指摘して、享保十八年(1733)刊の『雨のおち葉』の「きりぎりす・泣とおさえる歌かるた」を例示し、また、江戸座附句集の「八重むぐら臼盗まれて広く成」、解説すれば、八重むぐら茂れる宿で... 館長