「坊主めくり」は、百人一首の構成をビジュアルに理解してもらうにはいいゲームである。これは、裏返しにして積み上げられた一〇〇枚の絵札を順番にめくり、川柳にいう「七十九男で二十一女」だから二一枚ある「姫」のカードのうちから一枚を引いたら場にある札をすべて総ざらえに持ってこれるなどのいいことがあり、同じく江戸時代の川柳に、「精進が十二、八十八魚類」というのがあるが、精進、つまり十二枚ある「坊主」[1]の札のうちの一枚を引いたら手持ちの札を吐き出さされるゲームである。
札の山が複数に分かれているのが「坊主めくり」での勝負のあやで、どの山から引くかの選択が参加者に与えられているのが普通である。なんとなく怪しくて、皆が敬遠している山の札を果敢に引いたところ、やはり「坊主」であってのけぞる、などという情景が思い浮かぶであろう。
江戸時代の文献でこれを扱ったものは発見できていない。また、川柳などにはいかにも登場しそうなのに登場していない。そこで、どうやら明治時代に考案された遊び方と考えられている。これは、絵さえ識別できれば日本語が読めなくても遊べるものであるから、幼児まで広く参加できる。
不思議なことに、こういう単純な遊技法にさえ、全国各地での微妙なルールの違いがある。こういうものを収集して遊び比べてみるのも面白いことではなかろうか。蝉丸は坊主扱いなのか、そうでないのか。皇族の札を引いたときに他の参加者から褒美として一枚ずつもらえるのか、もらえないのか。その他、マイナーな点では、いくつかのバリエーションがある。旅行先で坊主めくりをするときにはその地域のローカル・ルールを知っておかないと諍いになる恐れがある。
坊主めくりはこのようにだれでも遊べる楽しいゲームである。以前に、国際カード協会のある年の研究会合で、山口格太郎が外国人の研究者に「百人一首歌合せかるた」を説明する報告があった[2]。内容は良かったのだが、和歌を知らず、日本語も知らない外国人研究者には難しかったようで、会場の空気がやや沈滞しがちであった。報告が坊主めくりに及んだので、その場に持参した資料の百人一首かるたを持ち出して、即興で坊主めくりの遊技を行った。会場の空気が一変して、シルビア・マンやデトレフ・ホフマンをはじめ、普段は学者らしい難しい顔をしているマイケル・ダメットに至るまで、皆が大いに興味を示して遊技にのめり込み、わいわいがやがやの大騒ぎになった。すると、それまでは遠慮していたのか、色々な参加者から山口へのかるたの歴史に関する本格的な質問も出されるようになった。坊主めくりの効用を最も強く感じた体験である。ただ、日本のかるた史の中で言えば、歌人の図像だけで遊ぶのであるから、「歌合せかるた」の王道からはずいぶん離れている番外編の遊技である。
[1] 最近は、「坊主」という言葉が職業蔑視的でよくないという意見がある。ここでは「坊主」のままで使っている。再考すべきであろうが、ゲームの名称化しているだけに、難しい。
[2] 山口格太郎「かるたの楽しみ」『歌留多』、平凡社、昭和五十九年、二六〇頁。