6-1 江戸かるた文化の残照 五 「歌合せかるた」の凋落 江戸時代のかるた文化で、明治維新後の武家社会の崩壊の影響をもっとも強く受けたのは「歌合せかるた」の没落である。この時期に、「百人一首歌合せかるた」「源氏物語歌合せかるた」「伊勢物語歌合せかるた」などの図像の付いたかるたも、書の美を鑑賞する「古今集歌あわせかるた」「新古今集歌合せかるた」「自讃歌集歌合せかるた」「三十六歌... 館長
6-1 江戸かるた文化の残照 四 「西洋かるた」の登場 幕末の開国以後に、外国のカルタが流入してきた。神戸や横浜の外国人居留地は治外法権地域であり日本の警察権が及ばず、遊郭では遊女も賭博に親しみ、賭博場もあり、そこに日本人客も通っていた。まずは中国の紙牌が使われた。明治五年(1872)に東京の上野で開かれた、翌明治六年(1873)のウイーン万博に出品予定の文物を展示した展覧... 館長
6-1 江戸かるた文化の残照 三 いろはかるた類の興亡 「ローマ字入りいろはかるた」 (制作者不明、明治初年) 幕末期から明治初年にかけては、江戸で製作されて流行した木版画の「いろはかるた」類では、伝統的な「いろは譬えかるた」の周辺に教訓的な新内容の「いろはかるた」が登場した。また、前代から盛んだった「芝居遊びかるた」「言葉遊びかるた」「外国語かるた」などに加えて、数百年ぶ... 館長
6-1 江戸かるた文化の残照 二 赤犬棒いろはかるたの成立 東京でも江戸の社会からの変化は緩慢であった。明治初期(1868~77)のいろはかるた(題名、作者不明)を見てみると、男性では断髪は実現されているがなお丁髷に和服姿が多く、女性では旧来の髪型、和服姿である。わずかに「ら」の絵札が洋服に帽子で、「む」の札が散切り頭の書生か壮士っぽい男であるあたりに江戸時代にはありえない新時... 館長
6-1 江戸かるた文化の残照 一 文明開化の時代 江戸幕府の崩壊と明治政府の下での近代国家の形成は明治初年(1868~77)に始まったが、それと日本社会の近代化との間には約二十年のタイムラグがある。明治二十年(1887)ころまでの日本社会では、江戸時代の文化が色濃く残っていた。それはかるたの世界でも同様であり、明治時代前期(1868~87)は、江戸時代のかるた文化が近... 館長