四 賭博カルタ遊技取締り政策の転換 (五)生き残った賭博系カルタ 寛政の改革による抑圧にもかかわらず、日本社会では賭博カルタの文化は大いに栄えて、爛熟の様相を示していた。江戸時代初期(1603~52)からの正統のカルタ遊技は京都、五條橋通のカルタ屋が制作する木版の賭博系カルタを使うものである。このカルタは寛政の改革における取締り強化の主要なターゲットであったのだから一時はひっそりとな... 館長
四 賭博カルタ遊技取締り政策の転換 (四)カルタ博奕取締り強化の実際 寛政年間の賭博取締りの実際については『御仕置類例集』『問答集』その他の記録史料に多くの処罰記録がある。また、当時の賭博の実情については江戸町奉行所与力の調査報告書『博奕仕方風聞書』がある。そこには、骰子博奕の「丁半」「投丁半」「大目小目」「ちょぼ一」、役者紋所を応用した当て物の「ひっぺがし」「棒引」、紐籤の「三から」「... 館長
四 賭博カルタ遊技取締り政策の転換 (三)長期間の幕政の転換と儒学者中井竹山の影響 松平定信政権が展開した新政策の中で、賭博遊技のあり方に特に関連するのは治安の回復と風紀粛正であった。天明年間には、気候変動によって農業が不振になり、飢饉、棄農、離村、暴動等が頻発し、犯罪が増加するとともに、棄農、離村した人々が都市に流入し、あるいは徒党を組んで博徒集団を形成し、それが治安の大きな妨げになり、地方では郷村... 館長
四 賭博カルタ遊技取締り政策の転換 (二)寛政の改革によるカルタ博奕の禁制 カルタ博奕の禁制を本格化させたのは、空前のめくりカルタブームであった天明年間(1781~89)の末に成立した松平定信政権である。この政権は寛政年間(1789~1801)に入ると歌舞伎、絵草子、浮世絵などへの執拗な抑圧とともに、博奕の取締りにも厳しくあたった。それは、享保年間(1716~36)の徳川吉宗政権以来の、賭博行... 館長
四 賭博カルタ遊技取締り政策の転換 (一)安永三年十二月の「めくりカルタ」禁圧騒ぎ 師走の街頭風景(『東都歳事記』) 大田南畝は『半日閑話』中で、安永三年(1774)十二月に「此節町にめくりかるた御禁制強し」と書いている。これまで見てきたように江戸時代中期には、幕府はカルタの賭博遊技については寛容であったから、これは真夏に雪が降ったというたぐいの不思議な記述である。この突発的な事件については、カルタ史... 館長