師走の街頭風景(『東都歳事記』)
師走の街頭風景(『東都歳事記』)

大田南畝は『半日閑話』[1]中で、安永三年(1774)十二月に「此節町にめくりかるた御禁制強し」と書いている。これまで見てきたように江戸時代中期には、幕府はカルタの賭博遊技については寛容であったから、これは真夏に雪が降ったというたぐいの不思議な記述である。この突発的な事件については、カルタ史の研究論文としては昭和五十七年(1982)に私が扱ったものが初出である。この論文「カルタ賭博と寛政の大弾圧」はとても未熟なもので、特に花札をめくりカルタの後身と説明しているあたりは通説にそのまま従っていて今日では読むに堪えない大間違えをしているが、安永三年(1774)年末の事件については史料にきちんと当たってから記述してあり、適切なものであるところが救いである。

この年十二月二十一日に、江戸のカルタ販売業者は一斉に奉行所の手入れを受けた。急襲されたのは江戸の織物・小間物問屋組合である「三拾軒組」に属する白木屋彦太郎、木屋九兵衛、鍵屋彦次郎の大店三軒と組外の業者八軒である。白木屋に同心三名が来たのは午前十時で、理由もいわずに店頭に陳列されていた「笹屋よみかるた」に封印をして五人組に預け、支配人に同行を命じた。年末は毎年恒例のカルタ類の最大需要期であるから店頭の「よみカルタ」は数が多く、白木屋だけでも約五千組が没収された。

三拾軒問屋記録控(享保年間)
三拾軒問屋記録控(享保年間)

奉行所に連行された支配人たちは博奕の用具を大々的に販売して不埒であると叱責された上で入牢とされた。これに対して商人側は、享保年間(1716~36)に公許された小間物屋の営業品目の一覧に「絵合せかるた、うんすんかるた、哥かるた、かるた類」とあって、「絵合せかるた」「うんすんかるた」「歌かるた」と並ぶ「かるた類」といえば、それは「松葉屋カルタ」「ほてい屋カルタ」「笹屋カルタ」などの「よみカルタ」「合せカルタ」類であることや、宝暦年間(1751~64)に奉行所からカルタ類販売の理由を問われて遊技用品であると回答して了解されたことを指摘してカルタ販売の合法性を申立てたのであるが奉行所側に一蹴され、逆に近年は業者が博奕性の強い「めくり札」も販売していて悪質であると責め立てられた。歳の暮れに支配人を牢屋に取られた商人側は止むなく抗弁を捨てて平謝りに謝罪して支配人の釈放を得たが、カルタそのものの禁制は強く、十二月二十七日には「三拾軒組」の残りの十九軒に対してカルタを販売していた店はそれを封印して五人組に預けることが命じられて、九軒が該当した。また翌二十八日には組外の販売業者二十七軒が呼び出されて取り調べを受け、翌二十九日に封印の上で没収となった。大田が「此節町にめくりかるた御禁制強し」と書いたのはこの時期である。

翌安永四年(1775)の正月はカルタ販売の活気ある売り声が聞こえない淋しい街角風景になった。カルタ遊技が大好きな大名柳沢信鴻(のぶとき)は『宴遊日記』[2]の安永四年(1775)一月八日の項に「此頃めくり甚長し色々の骨牌作り出すゆえ御禁制に成、売家蔵に封を付られなとし、骨牌を江戸へも求にやれとも一切なき由にて不売」と書き残している。そして同年四月二十三日に、奉行所の採決が下された。カルタの販売を行っていた業者三十九軒(三拾軒組内で当初摘発された三軒と後に自らカルタを提出した九軒の合計十二軒、組外の業者二十七軒)は過料三十貫文と全カルタの没収に処せられ、また、よみカルタ、めくりカルタはいずれも博奕の用具であって小間物屋の営業品目にいう「かるた類」には含まれないという裁定が示された[3]。これを受けて三拾軒組の業者は一斉にカルタ商売から手を引き、その店先からめくりカルタが消えた[4]

これが安永三年(1774)末から四年(1775)正月にかけてのカルタ禁制の顛末である。約九十年間のカルタ遊技の合法化の時期にたった一度、歴史にはときどき現れるかく乱現象であるが、カルタが激しく禁圧された。たしかにこの事件を機会に、小間物屋の大店はカルタの販売から手を引いた。白木屋の『古今記録帳』には「右軽板類以来売買いたし候儀堅ク可致無用事」とある[5]。しかし江戸の町でのカルタの販売そのものはその後も活発に行われた。幕臣森山孝盛が享和二年(1802)に往時の江戸市中の風俗を懐かしんで表した『賤のをだ巻』[6]は「昔は両替屋の見世にかるた箱をおびたゞしく奇麗にならべつみ立てたり。又あめ宝引とて‥‥。又紋付とて‥‥。御改正後はことごとく其類は皆停止せられたり。」と回顧している。カルタ遊技ブームはこの事件の後に安永、天明年間(1772~89)のピークを迎える。この事件は一過性のエピソードに終わったのである。


[1] 大田南畝「半日閑話」『日本随筆大成新装版』第一期8、吉川弘文館、平成五年、三二〇頁。

[2] 柳沢信鴻「宴遊日記」『日本庶民文化史料集成』第十三巻芸能記録(二)、三一書房、昭和五十二年、一二二頁。

[3] 「十組仲間控」『続海事史料叢書』、成山堂書店、昭和四十七年、四四二頁。

[4] 江橋崇「かるた賭博と寛政の大弾圧」『歴史と人物』第十二巻第九号、中央公論社、昭和五十七年、一〇二頁。

[5] 林玲子『江戸店犯科帳』、吉川弘文館、昭和五十七年、一八八頁。

[6] 森山孝盛「賤のをだ巻」『燕石十種』第一巻、中央公論社、昭和五十四年、二三〇頁。

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