一 子供向けの近代「イロハかるた」の成立 (三)かるたの世界への「教育」の浸透 そして、この新しさを示すのが、「教育」の二文字であった。「児童教育いろはかるた」という具合である。日本は、明治二十二年(1889)の教育勅語を基礎として、本格的な学校教育体制に入った。学校で勉強するということは、家族から引き離された子どもだけの世界の創出を意味していた。かるたはこの新しい世界での子どもの向上に役立つ。こ... 館長
一 子供向けの近代「イロハかるた」の成立 (二)「教育」を冠したイロハかるたの登場 明治二十四年(1891)に東京の神田區元柳原町の山崎暁三郎から『教育いろは』と称される七五調で、四枚一組の、今でいえばラップのようにリズミカルな「イロハかるた」が出版された。次のような内容であった。 山崎板『教育いろは』 いとけなき(稚き)よりいたづら(徒)にろじ(路地)にむなしくあそぶなよはやくがくこう(学校)へ... 館長
一 子供向けの近代「イロハかるた」の成立 (一)明治十年代のイロハかるた イザベラ・バード・ビショップ 明治十年代(1877~86)の早い時期に、イギリスの女流旅行作家、イザベラ・バード(後の結婚後はイザベラ・バード・ビショップ)が日本を旅行している。バードは、まだ欧米人が足を踏み入れることが稀であった東北、北海道を訪れている。まだ欧米人による調査が行き届いていない早い時期に未踏の地を踏破し... 館長