そして、この新しさを示すのが、「教育」の二文字であった。「児童教育いろはかるた」という具合である。日本は、明治二十二年(1889)の教育勅語を基礎として、本格的な学校教育体制に入った。学校で勉強するということは、家族から引き離された子どもだけの世界の創出を意味していた。かるたはこの新しい世界での子どもの向上に役立つ。このキャッチフレーズが発明され、近代のかるたは、「教育玩具」になった。教育玩具は、教育の対象である子どもだけが使う玩具である。ここに、かるたは子ども遊び専用の道具になった。

学校における教材といえば、当時はまだ、国産のノートがなく、鉛筆がなく、小学校低学年では石盤に石筆、高学年では和紙に毛筆が使われていたが、そういう中で、教科書の整備が急がれた。教科書は当初、自由発行、自由採択であったが、明治一九年(1886)に文部大臣による検定制が導入され、どの発行者の教科書を採択するのかの決定権が府県に設置された審査委員会に与えられた。

この、学校を場として、子どもが専用に使う教材というイメージをかるたにかぶせて印象の一新を図ったのは、業界の大きな知恵であった。「教育」「教材」「教訓」というような文字がかるたに溢れるようになった。ただし、教育を目的とする玩具が明治二十年代(1887~96)に突然に登場したと考えるのは行き過ぎである。すでに早く明治六年(1873)に、文部省は「幼童家庭の教育を助くる為に」「幼童翫嬉品画百二枚」の教育錦絵を出版した。その中には、洋風の馬車や子どもの体操を題材とした立版古(組上絵)(二種)と洋装の男女を題材にした着せ替え人形(七体)がある。また、明治十年代(1877~86)には、フレーベルの幼児教育理論と共に、そのガーベ(恩物)も紹介されている。このように、西洋における幼児教育のツールとしての玩具の紹介を経て、明治二十年代(1887~96)に、教育玩具の時代が始まったのである。

単語かるた
単語かるた

この時期の「教育玩具」の登場については、是沢博昭、是沢優子「教育玩具の時代-児童文化誕生前史-」[1]がある。そこで紹介されているように、明治二十三年(1890)、東京の書籍商が「教育玩具」の製造販売を開始したが、欧米のものの模倣の域を出ていなかった。それが、二十年代(1887~96)後半から、にわかに「教育」を関する玩具が増え始めたのである。

かるたの中でも、「イロハかるた」は、自らを教育教材に特化して、「教育」として売り込むことに問題はなかった。「犬も歩けば棒に当たる」に始まる「イロハたとえかるた」は盛んに用いられるようになり、幼児に物の名前を覚えさせる各種の「単語かるた」が増えた。年長者には「英語かるた」である。かつて盛んであった「おばけかるた」「武者かるた」「役者かるた」「地口かるた」「なぞなぞかるた」などは、「武者かるた」が「軍人かるた」になったように、新しい時代に合わせて子ども用に改編されるか、あるいは大人専用の手遊び用品に純化していった。「役者かるた」「声色かるた」「鸚鵡石かるた」などは、後者の道を選んだ例である。

単語かるた
単語かるた
単語かるた
単語かるた
「教育イロハカルタ乃木大将」
「教育イロハカルタ乃木大将」
「教育軍人かるた」
「教育軍人かるた」

そして、明治後期(1903~12)になると、学校の教科に合わせた特別製の「イロハかるた」が登場する。その後、大正年間(1912~26)、昭和前期(1926~45)を通じて「地理かるた」、「歴史かるた」、「国語かるた」、「英語かるた」などが盛んであり、中には、エスペラント語のかるたなども登場する。教訓話から主題をとった「修身かるた」も盛んだった。逆に、明治前期(1868~86)、中期(1887~1902)に大人用に純化したかるたは明治後期(1903~12)に衰退、滅亡に向かった。

「英語格言イロハかるた」
「英語格言イロハかるた」
「科學カルタ」
「科學カルタ」
「廿世紀 新式かるた ヱスペランド」
「廿世紀 新式かるた 
ヱスペランド」
修身かるた
修身かるた

[1] 是沢博昭、是沢優子「教育玩具の時代-児童文化誕生前史-」、『人形玩具研究 かたち・あそび』第七号 日本人形玩具学会、平成八年、一四九頁。

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