HOME > MONOGRAPH > 6-3 開国後の日本で外国人の眼に映じた日本のカルタ > 四 ヘニング・ルドルフ・フェルディナント・レーマン

四 ヘニング・ルドルフ・フェルディナント・レーマン

ヘニング・ルドルフ・フェルディナント・レーマン(Henning Rudolf Ferdinand Lehmann)はドイツ人の機械工学技師で、来日後、ドイツ語の語学教師に転じた。レーマンも「東アジア自然科学、民族学ドイツ協会」のメンバーで、明治十七年(1884)にその会合で「日本人の親睦遊技」[1]を行った。それは、報告の主題を説明する準備段階として、和歌と漢詩の文化について広く説明し、そのうえで、主題の歌かるたの遊技について説明するものであった。さらにかるたの歴史については『和漢三才図絵』に依拠して説明し、末尾で、賭博用のカルタ類を簡単に説明している。和歌と漢詩の文化に関する理解はレベルが高い。また、百人一首の遊技法として説明しているものは「人」「花」「月」「雪」「恋」の和歌などの役札が多くあり、僧正遍昭、文屋康秀、権中納言定家を珠玉とする古いタイプのものであった。百人一首のかるたを遊技として本格的に紹介したのはこの論文が最初である。

ヘニング・ルドルフ・
フェルディナント・レーマン
レーマン「日本人の親睦遊技」

[1] Henning Rudolf Ferdinand Lehmann, “Gesellschaftspiele der Japaner.” Mittheilungen der Deutschen Gesellshaft für Nature-und Völkerkunde Ostasiens. Heft 3, s.422、1884.