私の個人的な思い出になるが、私は昭和五十年代(1975~84)によく「任天堂」などに出かけてカルタ札の担当者にヒアリングを行って様々なことを教えてもらっていた。その頃は、多くのかるた屋で、地方花札や「めくりカルタ」などの賭博遊技系の地方札はすでに製作が終っていたが、最終の注文主からの不揃い品や欠陥品のクレームが来た時に対応するために少量のカードを倉庫に残していた。また、トランプに関しては、一時代を築いたディズニートランプの制作はすでに「任天堂」から別会社に移っていたが、「任天堂」はこれと別にトップ・メーカーとして高品質のものを多数制作しており、特に昭和三十年代(1955~65)以降の高度成長経済の時期になると、多くの企業がノベルティ・グッズとして自社のPR トランプを発注して作っていた。商品の売り出しのノベルティ・グッズに加えて、会社の創立何周年という記念品もあった。芸能、スポーツ関係のイベントの参加者への景品や、交通安全運動の広報トランプなどもあった。芸能人のファン目当てのタレントもの、ひいては、政治家のポスターのような広報トランプもあった。また、数は少ないが、芸術家が図柄を描く者も何点か出た。東郷青児、岡本太郎、池田万寿夫、その他さまざまな画家やイラストレイタ―の作品が残されている。

「任天堂」の市場占拠率は圧倒的であったが、他のかるた屋もPR トランプを制作していた。私は、元来が、ヨーロッパ各地域の「地方札」の蒐集から入った研究者であるから、当然にこの「秘宝」の山に注目し、可能な限り様々なかるた屋で、多種類に及ぶ、倉庫に残されていた残品を有料、無料で分けてもらった。たちまち数百組のコレクションになり、こういうトランプの制作事情について多くの情報を得ることができた。

これを機会に、私は日本製のトランプのコレクターになったのであるが、当時は、日本人の海外渡航も自由化が進み、多くの人々が海外観光旅行を楽しむようになり、その中から、世界各国のトランプを蒐集する者も多くあらわれるようになっていた時期であり、その趣味に先行した何人かの人が、自分の趣味として数百種類のトランプを公開し、あるいは雑誌などの取材に応じることもあった。ただ、多くのコレクターは、旅行の思い出として買い求めたトランプであり、表面の図柄には特に顕著な違いはなく、もっぱら背面の多様な模様、図柄にその地域の思い出が重なるというコレクションであったので、蒐集する対象となるトランプは無数に広がり、蒐集した本人には大事なものであっても、それを見る人には他人が集めてきて自慢する、まるでその土地の画像を付けた観光土産のスプーンのようなものと同列にしか見えず、要するに本人だけに価値が分かる主観的な思い出の宝箱ということになってしまう。トランプ・コレクターの中には、背面に花の模様のあるものを集めるとか、船の絵のトランプを集めるとか、人形の画像、写真のトランプを集めるとか、航空会社が機内で配布するサービスのトランプを集めるなど、テーマを決めて蒐集する者も出てきたが、欧米にはそういうコレクター向けに数百種類のトランプを集めて販売しているコレクターズ・ショップがあって容易に購入できるので、希少な宝物を探して見つけるコレクターの喜びは希薄になる。また、日本でも、東京浅草の「ニチユ―」が、欧米の主要なメーカーのトランプの輸入代理店となり、各社の多くの種類、形、図柄のカードを取り揃えて輸入し、デパートなどで売り出したので、旅行抜きに旅行の記念品が買える、東京都内にある遠隔地の道府県のアンテナショップで同地の名物がなんでも買えて実際に旅行した気分になれるような状態になり、現地で購入した思い出トランプも何となく色あせる気分になることになった。

私のコレクションは、海外のトランプは長年かけて集めた世界各地のトランプ、数百種類の地方札の集積であり、そこに日本のPR トランプが数百種類加わったので、これも、情報を公開して他者による研究が推進されることを願って一括して大牟田市の三池カルタ記念館に譲った。

今さら、遠い昔に手放したコレクションの自慢をしてもしょうがないが、日本のトランプの歴史、とくに初期のノベルティ・トランプの集まりとしてはおそらく他に例を見ないものだと思っていて、好史料であることを誇りにも思っていたし、その主力の部分となるPRトランプを販売してくれた「任天堂」などのメーカーに感謝している。トランプの制作会社にしてみると、注文制作のトランプを納品した後に、何らかの事故の発生やクレームに備えて返品、交換用に何組かを残す必要があったが、トランプ類税法の規定ではこういうものでも廃棄品扱いにすることはできず、帳簿上はトランプ一組、いやカード一枚にいたるまでしっかりと管理しておかねばならなかった。実際には、このような些細な違法行為が摘発されることは稀であったろうが、経営的にはとても半端な厄介者であった。私は、倉庫に残っているそういう半端物はすべて私が引き取るから分けて欲しいと申し出た。一個しかないものもあれば、数十個あるものもあったが、トランプ類税の印紙を貼ったうえで正規に販売してもらったので、制作会社としては、完売の扱いになり、帳簿も整理できて、トランプ類税法の面倒な保管義務をクリアできることになった。

「任天堂」などのメーカーにはこの程度の貧弱なメリットしかなかったのに、とても喜んで販売に応じてくれた。それならばついでにということで、「百人一首歌かるた」や「イロハかるた」などの骨牌税の対象外なので厳密な管理が必要なく倉庫に残っていて、もはや販売目録にも載っておらず販売から脱落して眠り続けているような半端な残り物も分けてもらうことになった。かるた屋からは段ボール箱でトランプが送られてきたが、それと一緒に、「百人一首歌かるた」や「イロハかるた」も入っていた。これらの物を引き取って、当時の私の家はかるたの製作元から卸を受けた中古カルタ、かるた、トランプの販売業者の倉庫のようになった。時には同じものが数十個も送られてきて、こちらが買いますと言ったのだからと観念したが持て余してしまったこともある。これらのものも「三池カルタ記念館」に譲ってしまった。どれも懐かしい思い出である。

「大一六」(任天堂)
「大一六」(任天堂)

意外だったのは、かるた屋から送られてくる段ボール箱の中身に、厳重に管理しているはずなのに帳簿に載っていないものがいくつか混じって出てきたことで、すでに扱った「手本引」遊技系のカルタである「大一六」はこの時に発見された新発見のものである。「手本引」遊技に用いる「繰札」や「張札」は課税対象外であったので保管が甘くてついに無登録のゴミのようになっていたのであろう。また、もう何年も前に「廃棄」とされた返品で、何らかの事情があってそのまま残されていた欠陥品もあった。欠陥品と言えば、大石天狗堂が昭和前期に制作して、紋標「桐」の赤色の彩色にミスがあって出荷できなくなって倉庫の隅に眠っていた「阿波花(金時花)」を、明治時代の完全品としてコレクター相手に売り出したことがある。私も喜んで購入した。カルタ屋に返品された欠陥品は、商品としては不良でも、研究資料としては貴重であり、一度は出荷されて購入されていて骨牌税の納税も済んでいるので安心して活用できた。大石天狗堂の「金時花」なども、この「地方札」の画像として示す際は、「桐」の札のこの個所を赤く塗り損ねたのだから、そこを覆うように赤い紙を切り抜いて上に置くか貼るかして撮影するほうがいいですよ、などと助言したことも思い出す。

以上のことは、私のコレクターとしての思い出話なのか、自慢話なのか、という感じもあるが、トランプ類税法の存在がかるた屋にどういう重圧を課していたのかという意味でこの税法の歴史の一こまであると思うので記載させてもらう。

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