(二)化政期の「江戸いろは譬へかるた」

斎藤によれば、その後、文化文政期(1804~30)に、江戸に固有の「いろは譬えかるた」が現れたようである。斎藤が少年期に遊んだ記憶があるこのかるたを、斎藤は「文化頃、北斎のいろはたとへ」と呼んでいるが、次のような内容である。

「文化頃、北斎のいろはたとへ」

いぬもあるけば棒にあたる

ろんよりしやうこ

はなよりだんご

にくまれこ國にはゞかる

ほねをりぞんのくたびれもふけ

へをひつてしりすほめる

としよりのひや水

ちりつもつて山となる

りちぎものゝ子沢山

ぬす人のひるね

るりもはりもてらせはひかる

をいては子に随ふ

われなべにとぢぶた

かつたいのかさうらやみ

よしのずいから天をのぞく

たひは道連よはなさけ

れう薬は口ににがし

そうれうのじんろく

つんばうの早耳

ねんには念をつかへ いれよ

なくつらをはちがさす

らくあればくある ちのまえのやせいぬ そから出たまこと

むりか通れは道理ひつこむ

うそから出たまこと ちよりそだち ちのまゑのやせいぬ

ゐものにへたもこぞんしなく

のどもと過れはあつさわするゝ

お(欠落)

く くさい物にはふたをする

やすものゝせにうしない ぶからぼう

まけるはかち

けいは身を助ける

ふみはやりたしかく手はもたぬ

こはさんがへの宵かせき ろはぬ先の杖

えてにほを上る

ていしゆのすきな赤えぼし

あたまかくしてしりつぼめるかくさす 欄外に:あみの目に風とまる

さんへん廻て煙草にしよ はらぬ神にたゝりなし

きいて極楽みてちこく

ゆだんたいてき

めのうへのこぶ

みからでたさび

しらぬかほとけ

ゑんはいなもの

ひんの盗にこゐのうた、欄外に:ひやくでかつた馬

もん前の子供は習はぬ経をよむ

せんだんは二葉より

すゐはみをくふ

京の夢大坂のゆめ 欄外に:京にいなかあり

 

これは、江戸の「犬棒かるた」の祖型である。「つ」が「月夜に釜抜かれる」ではなく「つんぼうの早耳」であり、「ひ」が「貧乏暇なし」ではなく「貧の盗みに恋の歌」であるが、斎藤が幼少時に憶えた古型が実際にこうだったのか、斎藤の記憶違いであるのかは分からない。「子は三界の首っかせ」が「子はさんがへの宵かせぎ」であり、「門前の小僧」が「門前の子供」なのは斎藤の誤解であろう。「宵かせぎ」は「宵だくみ」の勘違いであろうか。だが原句は「ふくろうの宵だくみ」、古型は「夜鷹の宵だくみ」であるから、「三界の宵かせぎ」では二重の勘違いということになる。興味深いのは斎藤の考察の跡で、「うそから出たまこと」を思い出している時に上方の「うちよりそだち」も頭に浮かび、どのかるたにあったのか不明の「うちの前の痩せ犬」も思い当っている。「やすものゝせにうしない(安物の銭失い)でも上方のかるたの「闇に鉄砲」に近い「藪から棒」が出てきている。「こはさんかへの宵かせぎ」では「転ばぬ先の杖」も思い出しているが、上方の「こ」は「是に懲りよ道斎坊」であるから、今は「転ばぬ先の杖」もあるが、いや昔は「子は三界の宵稼ぎ」であったなと思っている様子が見える。

こうして、斎藤の指摘によって、「犬棒かるた」が文化文政期(1804~30)にはすでに登場していたこと、図柄の考案者が葛飾北斎であると見られていたことが判明した。譬えの選者は分らないが、それでもいろはかるたの歴史研究にとっては史料価値の高いとてもありがたい記述である。