百人一首発祥論著作の読書感想(追記)

関幸彦『百人一首の歴史学』左・初版、右・再版
関幸彦『百人一首の歴史学』左・初版、右・再版

日本中世史を研究する歴史学者、関幸彦著は、二〇〇九年にNHKブックスの一環として、本書、『百人一首の歴史学』を刊行した。私が本書を知ったのは二〇二一年、「NHK出版」での刊行の年からすると十二年後である。私のこの文章は基本的に百人一首に関する書物を年代順に並べて論じているので二〇一〇年前後の箇所に挿入しようかとも思ったが、知ったのが遅かったので、追記として取り上げることにした。なお、本書は二〇二一年、同じ書名で吉川弘文館から再版されている。そちらを取り上げようかとも思ったが、両方を読んで、内容に変化が見られないので初版の方を尊重することとした。二〇二一年の再版を取り上げるのではないのに二〇二一年の箇所に掲載するというねじれになってしまったがお許しいただきたい。 

私が本書を知った機縁は、二〇二一年に関が出版した『刀伊の入寇』(中公新書)を読み、巻末の著者紹介欄中の著書紹介の中に、『百人一首の歴史学』(吉川弘文館)とあったことによる。私は、かねてから、国文学史を担当する大学教授たちの、歴史学としての最低限の常識を欠いた著作の数々に悩まされてきた。そこでは、史料批判抜きで文献史料を信用して援用するという恐ろしい叙述が溢れている。だから、関のような歴史の専門家が、百人一首について歴史学の俎上に挙げることに大いに期待し、歴史学者なのだから厳密な史料批判をきちんとこなしたうえで百人一首について歴史学としての検討を加えているのであろうと期待した。百人一首の場合は、そもそもそれがいつ、誰の手で制作されたのかが曖昧であり、これは百人一首が藤原定家の作であるという大前提の崩壊を意味するのであるが、この点について、歴史学からの解析が望まれているのである。 

しかし、結論的には、これはまったくの期待外れであった。関は、書名から私が期待した百人一首「に関する歴史学」をしたのではなくて、百人一首を読者の興味を引くためのネタとして使っているだけで、本の主題はごく普通の平板な平安時代史である。思わせぶりな題名に勘違いして期待した私の方が愚かだったのであろう。そして驚くことに、平安時代の歴史を書いているのに、そこで小ネタとして百人一首について語る際に用いているのは、百人一首研究の基本文献でもなく、昭和時代後期の国文学者の書いた百人一首論である。筆者の百人一首に関する研究は浅い。したがって、例えば百人一首の選者とされる藤原定家の人物史に関する著作は参考書一覧に登場しないし、「明月記」も参照されていない。つまり、関が書いているのは百人一首に関する世間の当り障りのない「常識」であって、その通俗的な理解のままに平安時代の社会、文化を語るネタに使っているのであって、そこにはここ数十年の百人一首に関する研究の進展もフォローされていない。そもそも関の研究の関心は百人一首には向いていないのである。 

それなのに、関の叙述は百人一首に関して大胆である。本書の冒頭で、百人一首で藤原定家は失われた平安期の王朝の記憶を汲み上げているとか、台頭してきた武家とは隔絶されたかつての王朝の雅びの回復を願っているとかいう主題を展開しているが、これはとても大胆な判断であり、百人一首を深く研究した者には怖くてとても書けないところである。それに、そもそも定家創作説自体が歴史史料を欠いた議論であるのに、なぜこんなに定家の心の中に踏み込めるのか、史料による裏付けが示されない大胆な指摘には到底ついていけない。したがって、定家の王朝風味という言葉もよく分からない。そして、明月記を学んだ形跡はないのだが、「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」が定家の生き方だと断定されている。こういう定家理解はもはや今の歴史学の常識ではないと思うけど、としか言いようがない。百人一首の内容を「神と人—敗れし者の系譜」「男と女—恋は曲者」「都と鄙―名所、歌枕への誘い」「虚と実—王朝の記憶を繙く」と四分して説明しているが、この分類自体がよく理解できないし、百人一首の和歌や歌人に関する説明も通り一遍で説得力がなく、要するに自分が書きたいことを展開するのに合わせてみたのね、としか理解できない」。 

したがって、この失望を告白してこの書の紹介は終わる。ただ、本書の後半で、なぜか記述は平安時代史から離れて、百人一首かるたを使って、江戸時代、明治以降の近代に及んでいる。そこでは、かつて江戸時代初期、慶長年間の作で歌かるたの誕生期のものとされていた「道勝法親王筆かるた」が昔の理解のままに始源のものとされている。今日では、すでにこの理解は批判されていて、これを江戸時代初期の作品とした二百年後に書かれた鑑定書が怪しく、多分江戸時代も前期、元禄年間に近い時期の裕福な町衆の家庭に向けられたものであろうと推察され、道勝法親王を筆者とする説は否定されているし、旧所蔵者の山口吉郎兵衛自身が、自分で購入したかるたであるのに、この故実家の鑑定書を留保して、長方形の歌かるたは元禄期以降のものしか残っていないとして、慶長年間説を疑問視していたことなども無視されている。百人一首かるたに関する記述で研究書にふさわしいものは見えない。高齢になったとはいえ、調査、研究抜きに昔の知識のままで書いてしまうのは避けたいものである。私のようなかるた史の研究者からすれば、ゼミの学生のレポートでももっと新しい研究を扱いなさいと指導するところで、このままではかるた史の部分に合格点はあげられない。 

おすすめの記事