カルタは十六世紀にポルトガルの交易船の船員によって日本にもたらされた。だが、その事実はどこにも記録されておらず、また、江戸時代の鎖国の時期に長崎でオランダ人がもたらしたと誤解されるようになり、それは明治時代(1868~1912)、大正時代(1912~26)になるまで継続した。

こうした状況を改めさせたのは言語学者、文献学者の新村出である。新村は大正十三年(1924)の著作『南蛮更紗』[1]に前年の大正十二年(1923)の作品「賀留多の伝来と流行」を収録してカルタのポルトガル由来説を詳細に展開した。新村はここで、言語学者らしく、カルタ関連の用語がポルトガル語に由来することを細かく説明して、江戸時代初期(1603~52)のカルタ遊技の流行を跡付けた。説得力豊かなこの新村説によってポルトガル伝来説は確立されたのである。ただ、新村の研究はここにとどまり、多くのことが説明不足のままにポルトガル船伝来説に加えられていった。

まず第一に、日本のカルタ用語の多くにポルトガル語の影響があるのは確かであるが、それを誰が持ち込んだのかは明らかでない。長崎市の永見徳太郎が中国経由で伝わったとする説を唱えたことはすでに紹介した。中国人がカルタ遊技にポルトガル語を使っていて、その、中国人にとっての外来語をそのまま日本人に教えた可能性は否定できない。仮に逆に、日本人が中国の奥地に出かけてそこで野球を教えて、ピッチャー、キャッチャー、ストライク、ボール、アウト、セーフ、ヒット、ホームランなどの用語を教えて、その用語がその後永くその地域に伝えられていたとして、数百年後に言語学者が訪れて、英語が使われているのだからこの地にアメリカ人が到来して野球を教えていた証拠であると言い出す事態を想像すれば、新村説の落とし穴が理解できる。南蛮貿易の実態について必ずしも明るくはなかった新村の説明では、ポルトガル人船員のイメージが強く、中国人船員がカルタに関するポルトガル語からの外来中国語を使っていた可能性を最初から度外視していてそれを排除する検証を行っていないが、中国人が彼らにとっての外来語を日本に伝えた可能性は十分にある。また、日葡貿易は実際には中国経由の三角貿易であり、ポルトガル船に乗りこんでいたポルトガル人は上級船員と交易商人など少数で、多数の中国人船員が乗船していたのであり、ポルトガル船伝来説と中国人伝来説は両立しうる。港町の日本人との交際の濃さ、言葉の疎通の良さなどから考えてみても日本人にカルタの遊技を教えたのは対日交易の中国船の船員、あるいはポルトガル船に雇用された中国人船員であった可能性が高い。新村は、カルタ用語がポルトガル人の言葉であったのか、中国人にとっての外来語であったのかの検討を行っていないので、ポルトガル人伝来説は証明が不十分ということになる。

次に、日本に伝来したカルタの形状が問題である。日本には、この時期に海外から伝来した「南蛮カルタ」のカードは全く残されていない。日本国内での国産のカードも残されておらず、関連する記録も図像も残されていないので、カルタ史の解明は困難を極めた。新村も伝来した「南蛮カルタ」のカードを示すことができていない。

山口吉郎兵衛
山口吉郎兵衛(昭和前期)

この難題に取り組み一歩前進させたのは昭和前期(1926~45)の山口吉郎兵衛の研究である。山口の著作『うんすんかるた』[2]は、専ら文献史学に徹していた新村説をさらに深めるとともに、自ら蒐集した江戸時代初期(1603~52)のカルタやカルタを図柄に用いた器材を駆使して自説を構築した。すなわち、山口は、アメリカ最大のカード制作会社であるUSプレイング・カード社の保有するカード・コレクションのカタログからポルトガル、インフェレール社[3]製のエースに龍の図像のあるカードを発見し、これを当時のイベリア半島におけるカードの標準的なデザインではなく、インフェレール社のものに特有の特徴であるとしたうえで、このカードこそが日本に伝来したカルタの祖型であると判断した[4]。また山口は、わずかに一枚だけ残った初期の「天正カルタ」や数点のカルタ版木、カルタ模様の多数の器物を蒐集し、当時のカルタのイメージを生き生きとよみがえらせた。さらに山口は、文献資料についても埋もれていたものを丁寧に蒐集、公表して光を当てた。これらがあいまって著作『うんすんかるた』は圧倒的な説得力を生み出して、カルタ史研究の水準を一変させる傑作となった。『うんすんかるた』はその後徐々に人口に膾炙(かいしゃ)するようになり、そこから山口格太郎を中心にカルタの研究者の連携も生まれ、山口吉郎兵衛の指摘は史実を的確に言い表している著作として広く受容されるようになった。


[1] 新村出、前引注7『南蛮更紗』、一〇三頁。

[2] 山口吉郎兵衛『うんすんかるた』、リーチ(私家版)、昭和三十六年。

[3] Trevor Denning, “What Are Infirrera Cards?” ICPS Journal Vol.16, No.3, (1988), p.71.

[4] 山口吉郎兵衛、『うんすんかるた』、リーチ(私家版)、昭和三十六年、四頁。

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