論題を中国固有の紙牌の日本伝来に戻そう。江戸時代初期の鎖国の完成後、中国人の日本国内居住は途絶え、そのカルタ遊技が伝来することもなくなった。江戸時代の文献史料を調査しても、中国の紙牌に言及するものはごく稀であり、日本社会にはそれが流行した痕跡はまったくない。

だが、長崎は別であった。この交易都市は、日中の交易に開かれており、市内に唐人屋敷があって中国人の滞在者に用いられていた。中国の沿岸各地からは大量の交易船が来航し、時には一万名を超える中国人が長期滞在した。こうした中国人の中には交易での利益を求める者が多かったが、当時の東アジアで外国人相手の売春が許容されていた唯一の交易港であった長崎であったので、遊女との遊興を主目的とする者も多く、中国人は多額の経費を惜しみなく支払う遊女営業の上客であり、日本側は外貨獲得のために長崎奉行所ぐるみでこの商売を奨励した。出島のオランダ商館の場合に比べると唐人屋敷への日本人の出入りの取り締まりは緩やかであり、とくに丸山遊郭の遊女は「唐人行」として営業のために唐人屋敷に出かけていた。記録では常時一千名ほどの遊女がここに派遣されていたようである。長崎は、中国人男性から見ればこの世のものとは思えないほどの性娯楽の天国、桃源郷であった[1]

こうした唐人屋敷であれば、そこに、遊女との宴会、管弦の遊興とともに、博奕の遊興が栄えるのはごく自然な成り行きであるはずであるが、賭博遊技、とくに このウェブが関心を持つ中国の紙牌を使うカルタ遊技の痕跡は残されていない。そのために、従来のカルタ史研究の中では、中国紙牌は最初から度外視されていた。これは極めて残念な事態であり、私は、それを打破して、カルタ史研究者に日本における中国のカルタについて少しでも関心をもってもらうために、カード一枚でもいいから江戸時代に伝来した中国紙牌の実物を見てみたいと思い続けていた。

漢土加留多
漢土加留多(江戸時代中期、仙台市博物館蔵)

事態は意外な形で動いた。平成十一年(1999)に私は、仙台市博物館の林子平関連の展示の中に、六枚の中国紙牌があり、それはすでに平成四年(1992)の林子平展から展示され続けていたことを知った[2]。それは、仙台藩主の側室の実弟という立場にあった林が、一八世紀後期に数回、長崎に遊学する機会を与えられ、そのいずれかの機会に長崎現地で入手し、「漢土加留多六葉」として友人である塩釜神社の祠官、藤塚知明に贈り、同家の子孫が大事に保存してきた上で、近年、林に関する研究、展示に努めているこの博物館に寄贈したものである。博物館の展示では注目の集まりにくい片隅に無造作に置いていただけであったが、江戸時代のカルタ史の様相を変えるきわめて貴重な史料であり、今日まで残されてきた由来も明確であり、この発見によって鎖国期の中国紙牌の伝来が実証された。

中国の紙牌は使用された時期と場所によって様々な意匠の「地方札」に分かれており、わずかな残欠でも識別が可能である。ここで発見された紙牌は、浙江省の「馬吊(まあちゃお)紙牌」二組三枚(「三索」「花牌」「一文」)、福建省の「馬吊(まあちゃお)紙牌」一枚(「四万」)、福建省の「象棋(しゃんチー)紙牌」一枚(「炮」)、広東省以南の「象棋(しゃんちー)紙牌」一枚(「象」)である。いずれも既使用のものであり、長崎の唐人屋敷や丸山遊郭で実際に遊興に使われていたものと思われる。鎖国期の長崎に来航した中国船には、早くから交易に携わっていた福建商人の船舶のほか、清朝から正規の交易を認められた浙江商人の船舶があり、残された紙牌の地域分布と符合している。

林がこの紙牌を長崎のどこで入手したのかは記録がない。ただ林は、これとともに「和蘭陀(おらんだ)加留多二葉」も藤塚に贈っている。両者の入手がともに容易なのは丸山遊郭であろう。いずれにせよ、林は、長崎での遊興の痕跡という、悪ふざけ気味でいささか安直な友人への長崎土産であったものが、遊技史の貴重な証言を提供することとなったのであるから面白い。なお、ここでの記述と直接の関係はないが、中国の紙牌の残存例は世界的に見ても極めて稀で、中国国内には残されておらず、蒐集に熱心な人の多い欧米でも、1840年のアヘン戦争以後に占領した租界で取得したと思われるものは見かけるが、それ以前のカードは残されていない。今日までのところ、林子平の紙牌は残存する世界最古のものということになる。

鎖国期の中国紙牌については、これ以外には残されたものも記録もほとんどない。わずかに寛政十二年(1800)刊の桂川中良『桂林漫録』[3]にこういう記事がある。「寛政庚子歳[4]。安房國立澤(タツサハ)ヘ南京ノ商船漂着ス。彼難商ノ中。能ク日本語ヲ解スル者有。名ヲ傳ヘズ。惜ム可シ。彼カ詠ル歌ナリトテ、房州ノ人ニ聞リ。イザタトフタツサノ浦ノ荒浪ノ人ノ心ニ秋ノ来ヌ間ニ。此外ニモ有シガ忘レタリト語リキ。彼人難商ドモ出船ノ後、仮小屋ヲ取拂ヒタル跡ニテ拾ヒタリ迚。骨牌(カルタ)一枚ヲ予ニ與フ。其形圖ノ如シ。傍ニ燕青ト書タルハ。浪子燕青ノコトナル可シ。」そこに図示されているのは福建省の「水滸紙牌」の「一万貫」の札である。千葉県、九十九里の立沢に中国船が漂着し、遭難した商人たちは仮小屋で生活し、船の修理が成って出船したので仮小屋を取り壊したところ、中国紙牌のカードが一枚残っていたということで、現地の人が桂川に贈ったというのである。「水滸紙牌」の「一万貫」のカードには水滸伝、梁山泊の志士の一人、燕青の図像を描き、「燕青」の文字を添えるのが普通であり、このカードはその様式に合っている。ここから推測すれば難破したのは福建船であろうか。

清国の骨牌
清国の骨牌(『清水晴風手控帳』、
清水晴風玩具絵本の会所蔵)

これに類似するのが、明治時代の「集古会」に出品された紙牌一枚で、同会の清水晴風は「清國の骨牌天保年頃の物桂林漫録所載之物と同種也」と記録している[5]。カードは「水滸紙牌」の「九万貫」で、梁山泊の雷横の図像と「雷横」の文字がある。なお、「九万貫」は役札なので、上部に赤色の模様が加刷されている。このカードが伝来した経路その他の来歴は明らかでない。「天保年頃」という鑑定が正しいとすると、こちらのほうが林子平の紙牌より新しい。しかし、『桂林漫録』の紙牌は遭難中国船の船員が捨て残していった廃棄物であり、日本の土地に上陸してはいるが日本人には伝わっていないのである。一方、清水晴風模写の紙牌は、「桂林漫録所載の物と同種也」とされているが、これも難破船の遺物という意味ではあるまい。長崎あたりで中国人や日本人が実際に遊技に使っていたものの残欠であるとすると、日本への伝来という文化史的な価値ははるかに高い。

以上が、鎖国期の中国紙牌に関して現在知られている情報である。これら以外にも未発見の情報がありうるが、私は知らない。そして、ここから見えるのは、江戸時代には、中国紙牌は確かに日本に伝来していたが、使用地は長崎、それも唐人屋敷と丸山遊郭というごく狭い地域に限られ、実際にこれの遊技に参加していたのは、唐人屋敷内に滞在していた中国人船員、交易商人と、丸山遊郭の遊客、遊女に限られていたことである。長崎市内で広く日本人の間で遊技が行われていた記録があれば日本への伝来といえるかもしれないが、そういうものが発見されず、林の例からも丸山遊郭ではそこに遊ぶ日本人の客と遊女の間でも遊技されていたであろうと推測されるがその記録もない。特に困惑するのは、中国紙牌の遊技法が一切分からないことである。中国の浙江省や福建省の紙牌の遊技法からある程度の推測はつくが、不確かすぎる。それに、流行した遊技であれば、将棋の「王手」や囲碁の「ダメ詰まり」、麻雀の「リーチ」などのようにそこでの用語が一般社会に流出して用いられるものであるが、そういう痕跡も見つからない。長崎に紙牌があって仙台に運ばれて残されていたという事実だけでは、中国紙牌が日本でも遊技に用いられたと一般化する結論に届くことはできない。今後の史料の探索、発見が強く期待されるところである。

なお、江戸時代中期(1702~89)に桒遊軒『歓遊桑話』という文献史料がある。これを見ると、「カルタ」が「蛮人」に由来するものであると正しく説明する中で「且ツ唐渡の加留太はウンスムとて七十五枚有。しかも一准(キワ)大ヒ也。然るを和朝之規則(ノリ)に合せ、其理を縮(チゞ)め、桒数(ソウスウ)とす。桒(ソウ)の画たるや四十八、因茲(ヨイツテコレニ)名付けて桒札ともいつ(う?)べし。」とされている。中国から渡ってきたカルタはウンスムと言う一組七十五枚のもので、ひときわ大きなものであったが、これを日本の決まりに合わせて桒(桑)という数(四十八枚)にした。桒の字は分解すれば十、十、十、十、八で合計四十八であり、これからカルタを桒札ともいうことがある、という趣旨であろうか。これは、一組七十五枚の「うんすんカルタ」が中国から伝来したという理解である。これもまた、カルタの中国経由伝来説の一種であるので参考までにここに記しておく。これについては後に、「うんすんカルタ」の発祥を検討する際に詳しく扱う。


[1] 唐権「『遊興都市』長崎へ―江戸時代における中国人の日本旅行に関する研究」『日本研究』第二十三集、国際日本文化研究センター、平成十三年、七七頁。

[2] 発見の経緯及び発見した中国紙牌の図像につき、江橋崇「林子平収集の中国カルタとオランダカルタ」『月刊しにか』平成十二年一月号、二頁。

[3] 桂川中良『桂林漫録』寛政十二年、『麻雀博物館大図録』麻雀博物館、平成十一年、四一頁。

[4] 寛政年間に庚子の年はない。安永庚子歳か寛政庚戌歳の誤記であろう。

[5] 清水晴風自筆画記録『歌留多乃類』、明治三十九年、清水晴楓玩具絵本の会蔵。

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