『ポルトガルのドラゴン』
『ポルトガルのドラゴン』
(1973年刊)

この山口の研究をさらに進めたのが1970年代のイギリスの研究者シルビア・マンとアメリカの研究者ヴァージニア・ウェイランドの研究であった。両名は、十六世紀、十七世紀の大航海時代に世界各地に広まったイベリア半島のカルタのうちでポルトガルのカルタのみが四枚のエースの各々に龍の絵が描かれているドラゴン・カードであることに着目した。当時のスペインのカルタには龍がいなかったから、スペインが侵略して植民地化した南北アメリカの各地には龍の絵の付いたカルタは伝来していない。一方、ポルトガルの龍は、ポルトガル船が行き来したアジア各地、ペルシャ、インド、スリランカ、ジャワ、それに南米のブラジル等の港町に伝来し、流行した。残念なことに、ポルトガル本国においても十八世紀にはこうした龍のある棍棒、剣、聖杯、金貨の四紋標のカルタは衰退してイギリス風のクラブ、スペード、ハート、ダイヤの四紋標のカードに代わってしまったし、アジア各地でも遊技は絶えてしまって今に伝わることはなかったのであるが、それでもドラゴン・カードの痕跡がカルタの残欠となって残されている。この痕跡を拾い集めてみると、それはあたかもポルトガルの龍がアジア各地をツアー旅行した足跡のようである。

そして、この英米の二名の研究者は、研究を深める中で、ポルトガルのドラゴンの旅は遠く日本に及んでおり、そこでは、江戸時代のエースに龍の付いたカードが残されているだけでなく、それが今でも京都で制作され、「めくりカルタ」や「かぶカルタ」のデザインとして全国各地で遊技に供されていることと、「うんすんカルタ」の遊技が熊本県人吉市に伝わっていることを発見した。ポルトガルのドラゴンは日本で生きていた。ウェイランドは日本を訪れ、山口格太郎らの協力も得て遠く九州、熊本県の山深い人吉市にまで実際に出かけてこの事実を確認して[1]、両名はポルトガルのカードのアジア伝来を扱った著作『ポルトガルのドラゴン』[2]を公刊した。

日本の研究者は、このマンとウェイランドの研究を学ぶことを通じて、エースに龍の付いているカルタはインフェレール社独自の特徴なのではなく、大航海時代のポルトガルのカルタ全般に共通する特徴であることを知った。そして、アジア各地のカルタの遺物を史料として駆使した研究の説得力は強く、日本に伝来したポルトガルのカルタの出自、経路は疑問の余地なく明らかになったように見えた。この理解は基本的には今日でも通用している。


[1] ハロルド・ウェイランド、ヴァージニア・ウェイランド「オンブルからウンスンへ」、『別冊太陽 いろはかるた』平凡社、昭和四十九年、一八八頁。

[2] Sylvia Mann & Virginia Wayland, “The Dragons of Portugal” Sandford, 1973.

おすすめの記事