メニュー

(二)江戸時代中期の「役者かるた」

宝暦年頃役者かるたいろは文字合せ
宝暦年頃役者かるたいろは文字合せ
(『清水晴風手控え帳』)

ところが、最近になって、明治時代(1868~1912)の「玩具博士」清水晴風が好事家集団集古会の展示会に他の会員から出品されたかるたを模写した手控え画帳[1]を観る機会があり、そこに「宝暦ノ末頃役者かるたいろは文字合九十六枚の内 安田君所蔵」と書かれた絵札九枚が模写されていることが分かった。この時期の役者かるたが他に全く残存していないという事情の下ではこの史料の価値は計り知れないほど大きいし、歌舞伎関連のカルタとしてももっとも古い残存例になる。

清水の模写はほぼ実寸大と思われるが、カードの大きさは測定値が示されていないので不明である。黄色っぽい地紙にこの時期の高級な手描きかるたによく見られる銀砂子の装飾が施されており、銀色の裏紙が縁返し(へりかえし)されている。模写の基になったカードは手描き、手作りの高級品であろう。カード上には文字と図像がある。文字は「は 市川八百蔵」「る 市川升蔵」「入 沢村國太郎」「九 姉川大吉」「ほ 坂東三八」「せ 佐野川市松」「う 松本幸四郎」「つ 沢村宗十郎」「ろ 坂田半五良」である。「沢」は「澤」ではないかなどの疑問があるが、使用されている文字がかるた上のそれを忠実に写したものか、清水が適宜に書き改めたものかは分からない。図像は各々が得意役の見栄を切った場面の全身像であり、その役者の紋所が衣裳の上に描かれている。清水の模写には悪口も書いたけど、基本はよくぞ残してくれたという感謝である。

残念なことに模写されたのがいずれも「漢字札」であり、対応するカードが図像のある「仮名札」であったのか文字だけの「文字札」なのかは分らない。カード制作者や画工についても部分的な模写図であるので分りにくい。集古会に出品された当時には、このかるたは九十六枚のカードが残されていたようであり、それは四十八対・九十六枚の完揃いであったことを推測させる。「いろは文字合」とあるのでいろは順化が起きているものと思われるが、「入」(大入りの入?)や「九」(「く」(苦)を嫌った?)があるので逆にいくつかのかな文字は省略されていたのであろう。いろは順化が江戸後期のものほど徹底しておらず、まだ発展途上であるように見える。制作地は一応京都ではないかと推測しているが、カードの材質、厚み、堅牢さなどを知ることができないのでよく分らない。このように細部に及べば不明の点も多いが、それでもこの史料が一級の価値を有する評価はゆらがない。


[1] 清水晴風、模写画帳『歌留多之類』、明治三十九年、清水晴風玩具絵本の会蔵。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です