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(一)明治初期、アメリカ、イギリスのカルタの伝来

クラブ、スペード、ハート、ダイヤの四紋標から成るイギリス、アメリカのカルタの伝来は遅れた。江戸時代、鎖国期にはその伝来の痕跡は見つからない。一方、幕末期(1854~67)の開国はアメリカ、イギリス主導であったから、長崎、神戸、横浜、そして東京の築地などにはこれが乱舞していたはずである。記録もカードの現物も一切残っていないのは不思議である。

明治前期のトランプ
明治前期のトランプ(ベルギー製、20世紀)

明治年間前期(1868~87)になってからも伝来の痕跡は乏しい。私は『ものと人間の文化史173 かるた』でやや詳細にそれを論じたのでここでは略記にとどめるが、断片的な情報を別にすれば、このカルタの本格的な伝来は、明治十年代後期(1883~86)のイギリスのカルタ屋、グッドオール社の幹部の販売促進目的の来日と、その後のイギリス側からのトランプ輸入禁止の解禁の要求、それに応じた輸入公認の決定と東京銀座の「上方屋」による大規模な販売活動を契機にしている。ただし、それ以前、明治十年代(1877~86)のものではないかと思われる木製、漆塗りでカルタを散らした模様のあるカードケースがあり、また、明治十年代(1877~86)末期のトランプを使ったゲームの解説書[1]に、欧米にはない「絵取り」などの日本固有の遊技法が掲載されているので、この解禁期よりももっと以前から、アメリカ、イギリスのトランプはすでに実際に日本国内で使われていて、そこから新しい日本固有の遊技法が開発されていたとも思われる。また、「絵取り」は上記の掛合町に残るオランダ伝来のカルタの遊技法の名称でもある。これも史料に欠ける漠然とした話であるが、江戸時代の長崎にオランダのカルタ、つまりイギリスのカルタと同じ構成、図柄のカードを用いた「絵取り」の遊技法があり、明治時代になってそれが新たに輸入されるようになったイギリス、アメリカのトランプで遊ばれるようになり、広く普及したと考えることもできないではない。

なお、このカルタの呼称は安定せず、当初は「西洋カルタ」という奇妙な名称で呼ばれ、その後、「トロンプ」ないし「トランプ」と呼ばれ、「パース」や「パー」という俗称も生まれたが、明治二十年代(18787~96)に入って、東京銀座でカルタの販売店を開き、圧倒的な影響量を持った「上方屋」がカルタの販売促進で配布した教則本で「トランプ」という呼称を用いて、それが一般化し、定着して、世界中で日本だけが「トランプ」になった。

トランプ・ケース
トランプ・ケース(木製、明治前期)

また、クラブ、スペード、ハート、ダイヤの四紋標の中では、クラブ、スペード、ダイヤは理解しやすかったもののハートは日本にはないデザインであったので、これを逆転させて「桃」と見る見方が広まっていた。上に紹介した漆塗りのカードケースの模様絵でもハートは上下逆に描かれている。福島県の場合はさらにすごくて、四つの紋標は「三つ葉」「芋っ葉」「桃」「菱」である。クラブが「三つ葉」でダイヤが「菱」であるのはよそでも見かける呼称であるが、スペードが「芋っ葉」であるのは珍しい。


[1] 岡初平『西洋遊戯骨牌使用法』、團々社支店、明治十九年。

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