ここで、カルタ類似のゲーム・カードを振り返っておこう。江戸時代後期(1789~1854)以降には、座敷遊び(インドア・プレイ)用のカルタに似たカードが大量に開発された。中には、たとえば幕末期(1854~67)の「夫婦合せ」や「鳥刺しかるた」のようにその座敷遊戯に専用のプレイ・カードと、江戸時代後期(1789~1854)の「庄屋券」が「庄屋拳」「狐拳」などの座敷での身体遊戯をカード上に写したように、他の種類の頭脳遊技ないし身体遊戯をカードでもできるように工夫したプレイ・カードとがあるが、いずれにせよ、家族や子どものグループでの無邪気な遊戯に用いるものであった。明治時代(1868~1912)には、「狐けん」や「しょうやけん」の他にも「三芝居当りくらべ」「十六むさし」「福わかし」「鳥刺しかるた」「源氏遊び(呼出しかるた)」「軍師けん」「狩り場むさし」「武者十六むさし」「源氏茶坊主」[1]などがあり、また、イギリスの「ハッピー・ファミリーズ」というカードを使ったプレイに由来する「名所合せ」「家族合せ」「軍人合せ」「国旗合せ」「お買物合せ」[2]というプレイ・カードが大流行した。また、「庄屋券」[3]のようにゲーム・カードから出発して、叩きつけて相手のカードを裏返して獲得する身体遊戯に傾斜して「紙メンコ」になったものもある。

昭和後期(1945~89)の日本社会では、家庭遊戯用品として、人生ゲーム、億万長者ゲーム、モノポリーなどのボード・ゲームや、ポンジャンのような麻雀類似ゲーム、さらには野球盤などの遊戯機が登場し、カード・ゲームでもモノポリーのような遊戯(プレイ)カードが登場した。また、ゲーム・センターや喫茶店などにゲーム機が置かれて遊戯の場となった。これらの新しい遊戯具の流行は、トランプのような様々なゲームで使える汎用性の高いカードの人気を奪っていった。そして、これらの遊戯具は新たに考案されても、多様に展開されてもその基本のコンセプトは江戸時代からの遊戯用具の発展系と理解することができる。


[1] 『東京古典會3月の特選目録市』平成二五年、東京古典会、一頁。

[2] 「家族合せ」につき、江橋崇「家族の肖像―遊びの世界における」『かたち・あそび』第四号、日本人形玩具学会、平成七年、二〇頁。

[3] 「庄屋券」につき、江橋崇「庄屋券・紙メンコの誕生について」『かたち・あそび』第三号、日本人形玩具学会、平成五年、一四頁。

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