四 戦後期社会の完結とカルタ遊技 (七)デジタル・ゲームの登場 カルタ遊技の現代を特徴付けるもう一つの大きな特徴は、コンピュータ技術を駆使したデジタル・ゲームとの競合である。それは昭和後期(1945~89)に始まり、平成期(1989~2019)にコンピュータ技術の急速な発展によってテレビ・ゲーム、家庭用ゲーム機を使ったゲーム、パソコンでサイトと繋がるパソコン・ゲーム、そしてスマート... 館長
四 戦後期社会の完結とカルタ遊技 (六)ゲーム・カードとゲーム機の登場 ここで、カルタ類似のゲーム・カードを振り返っておこう。江戸時代後期(1789~1854)以降には、座敷遊び(インドア・プレイ)用のカルタに似たカードが大量に開発された。中には、たとえば幕末期(1854~67)の「夫婦合せ」や「鳥刺しかるた」のようにその座敷遊戯に専用のプレイ・カードと、江戸時代後期(1789~1854)... 館長
四 戦後期社会の完結とカルタ遊技 (五)手作りカルタ、手作り花札の終焉 花札の社会的な沈滞に先駆けて「めくりカルタ」などの賭博系地方札の遊技は衰退し、この種のカードは次々と製作中止に追い込まれていった。同じように、各地方に残っていた地方花札も衰退していった。これにともない、地方のかるた屋の廃業も続いた。徳島県阿波町、山形県酒田市、岡山県倉敷市、岩手県花巻市等にあったかるた屋は消滅し、京阪神... 館長
四 戦後期社会の完結とカルタ遊技 (四)カルタ業界の革新不足 このような競争相手の遊技、ギャンブルの変化、改革と比較すると、かるた、とくに花札の業界での革新がいかにも遅れている。新しい遊技法は登場せず、いつまでも江戸時代から続いている「四光」「赤短」に「猪鹿蝶」では遊技としての魅力が徐々に減少してゆく。たとえば、女性向けの雑誌『婦人倶楽部』の昭和二十八年(1953)新年特大号の「... 館長
四 戦後期社会の完結とカルタ遊技 (三)高度成長期の社会変動とギャンブルの変容 これから、高度成長期の日本における賭博札、花札の衰退について触れなければならない。それは必ずしも心躍る内容にはならないであろう。すでに触れたように、昭和三十年代(1955~64)の高度成長期は花札、賭博札の最後の盛期であった。その余韻は昭和四十年代(1965~74)にも残っていて、まだ、学生や芸術家などもこれで遊んでい... 館長
四 戦後期社会の完結とカルタ遊技 (二)主要なカルタ屋の動向 昭和後期の高度経済成長期は、日本の花札市場で最後のブームの時期であり、昭和三十年(1955)当時は一年に一百万組程度の出荷であったものが、八年ほどたった昭和三十八年(1963)には三百万組にまで増加した。空前の好景気を背景に、全国各地の生産現場、再開発現場で花札が舞い散っていたのである。こうした急激な需要増に対応するこ... 館長
四 戦後期社会の完結とカルタ遊技 (一)かるた業界の変貌 昭和後期のかるた業界では、何社かの新規参入も含めて、さまざまな革新が試みられた。まず、基礎的なデータとして、この時期のカルタ屋を見ておこう。昭和前期(1926~45)以前からの伝統的なカルタ屋で、私が直接に関係者に話しを聞いたことがあるのは次のような業者、あるいはすでに店を閉じた元業者である。なお、断るまでもないが、調... 館長