(一)「まめカルタ」は「かぶカルタ」の西日本バージョン

任天堂の製品一覧ポスター
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「きんごカルタ」と「かぶカルタ」の関係を考えるにあたって、もう一つ見ておきたいのが「まめカルタ」系の賭博カルタである。現代まで残った地方札としては、一組四十八枚の「九度山」と、一組四十枚の「目札」「 小丸 」「 大二 」が知られている。その使用地として、制作者の任天堂が明治後期(1902~12)頃の宣伝ポスターで挙げているのは、九度山が「伯耆、出雲、因幡、隠岐」であり、目札が「讃岐、阿波、四國地方」であり、小丸が「丹波、丹後、但馬、備前、備中、備後、安藝、周防、長門、阿波、淡路、伊豫、讃岐、北海道」であり、大二が「筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、大隅、下關、朝鮮、其他各地」、要するに大繰りでいえばきんごカルタに構成が似ている「九度山」札は山陰地方向け、かぶカルタに似ている「目札」札は四国向け、「小丸」札は中国、四国の瀬戸内海沿岸地域向け、「大二」札は九州向け、つまりまめカルタの賭博カルタは西日本の各地向けということである。きんごカルタ系の遊技が山陰地方にしか残っていなかったであろうことは理解できるが、逆にかぶカルタ系の遊技が、四国、中国四国の瀬戸内海沿岸地域、九州にあるのに山陰地方にだけないのはおかしい。小丸札あたりが山陰地域にも出荷されていたのであろうか。任天堂に残された版木には、九度山札の図像とそっくり同じで、ただ絵札が「ハウのソウタ」だけに減じられた 一組四十枚のかぶカルタ様式の札 の版木がある。あるいはこれが山陰地方のかぶカルタ遊技用の札であったのかと思えるが、確証はない。なお、薩摩藩の支配する九州南部では、どうもこのまめカルタ系の札は浸透せず、めくりカルタ系の地方札である「 小天正 」や「 小獅子 」などが使われていたようである。

一方、同じ任天堂の史料によると、紋標「ハウ」のカードを用いるかぶカルタ系の賭博カルタの使用地は、株札が「京都、大阪、神戸、丹波、丹後、但馬、播州、備前、紀州、伊賀、大和、河内、和泉、摂津」であり、入の吉札が「紀州、志摩、伊勢、外國東西濠州各地」であり、金青山札が「敦賀、紀伊、伊勢、志摩」である。これも大繰りでいえば、かぶカルタ系の賭博カルタは、一部まめカルタの使用地との重複はあるが、おおむねは近畿地方の地方札である。

このまめカルタの札は、基本的に「オウル」の紋標を四度繰り返すタイプであるが、「十」の絵札は九度山札では「ハウのソウタ」であるのに対し、目札では「ハウのウマ」が使われ、小丸札と大二札では「ハウのキリ」が使われている。また、これはすべての種類の地方札に共通するのだが、「一」の札は、基本は「オウルの一」の図像であるが、特別に加色した一枚は「ハウの一」の図像を用いており、同じく特別に加色した「四」の札の一枚は「ハウの四」の図像である。役札は「ハウの一」と「ハウの四」であるべきだというハウ系のかぶカルタの常識がまめカルタの使用地域である西日本一帯にまで広がっていたのである。これは、ハウ系のカルタがまず用いられ、その遊技中での役札の働きが印象深く、まめカルタのカルタ札にも採用されたことを意味するから、ハウ系のかぶカルタの生誕が先でまめカルタが後ということが言える。

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