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(二)林子平が伝えた「阿蘭陀加留多」

こうして江戸時代の鎖国期におけるオランダのカルタの伝来は実証されたのであるが、この史料は模写物であり、どこでだれが使用したのか、あるいは単にブロンホフが所持していただけで使用歴がないものなのか、関連する文献史料が欠けているので判断がつかないという大きな弱点があった。模写物ではなく、実際に日本国内で使われたオランダのカルタは存在しないのか、それを見ることができないのはいかにも残念であり続けた。

林子平の阿蘭陀カルタ
林子平の阿蘭陀カルタ
(江戸時代中期、仙台市博物館蔵)

転機は思いがけない時期に、思いがけない場所で生じた。私は、平成十一年(1999)に仙台市博物館で林子平に関する展示で、林の長崎留学土産品を見ることができたが、そこには、すでに上で検討した「漢土加留多六葉」とともに、「阿蘭陀加留多二葉」が含まれていた。これはオランダに固有の地方札の「ハートのJ」と「スペードの九」である。カードは二枚ともダブルヘッドで、一八世紀末期以降のものであることが分かる。「ハートのJ」には、スカーフで頭を覆い、右手に花を持つ若者の半身像があり、横にSIPRIROMANとある。裏面は木版で模様が規則正しく印刷された紙であり、切り離しの技法で作られている。この二枚のカードだけでは正確な制作年や制作者は分からないが、きわめて特徴的な「ハートのJ」があったので確かにオランダのカルタであることが分かった。カルタは、既使用感があり、長崎の丸山遊郭あたりで実際に遊技に用いられていた履歴を物語っているように見える。日本にオランダのカルタが伝来したことを実証する今では唯一の証拠であるのに林子平記念展示では光の当たらない片隅に何の説明もなく無造作に置かれていた。だが、この史料の文化史上の価値を知った地元の新聞に関連の記事[1]が載った。その後にこの博物館を再訪したところ、史料価値が再評価されたのか主役になって展示の中央部分に配置されるようになっていて嬉しく思った。

ただ、残念なことに、林の事例では、長崎ではどのような遊技法であったのかは全く分かっていない。オランダのカルタの遊技法は雲をつかむような話である。そして、この点で一条の光のように思えるのが、島根県雲南市掛合町に伝わる、「絵取り」と呼ばれるトランプゲームである。現地の伝承では江戸時代中期に同町の医師がオランダ医学を学ぶために長崎に赴き、帰路にオランダのカードとこの遊技法を持ち帰り、その後同地で人々によって遊技され続けて来たとされている[2]。これが事実であるとすると、江戸時代にオランダのカルタの遊技法が伝来していた事情を物語る貴重な事例になるが、残念なことに掛合町にも伝承を裏付ける文献史料や古い時期のカードは残されておらず、判断しかねる。


[1] 「仙台市博物館所蔵のオランダカルタ 国内最古のトランプ」『河北新報』、平成十二年三月二十八日。

[2] 赤桐祐二『トランプゲーム大全』、スモール出版、平成二十六年、二九九頁。

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