日本の遊技文化の歴史を見ると、新しい遊技が登場して古い遊技を凌いでいく過程は、何か大事件があって古い遊技が断絶して一挙に交代する革命劇が起きるのではなく、古い遊技が遊ばれている社会に新しい遊技が後発して、両者はしばらくの間併走して競争し、そのうちに新しい遊技法の人気が高まってそちらを用いる人々が増えて、古い遊技法が徐々に衰退するという緩やかな交代劇であることが多い。二枚絵合せかるたから四枚絵合せかるたへの変化もその例である。
新しく登場した四枚絵合せかるたを見てみよう。このかるたが生み出した新しい遊技法はどのような特徴を持っていたのか。二枚絵合せかるたが他に替わるべき相手のいない「運命の札」と合せて結ばせる遊技法であるとすれば、四枚絵合せかるたは、結ばれる相手を主体的に選ぶ遊技法である。札と札を合せると言っても、手札をもって、同じ紋標の札三枚の中のどの札と合せるのかが問題である。また、直近の「取り番」でどの紋標の札を釣り取り、どれを次回以降の「取り番」に回すのかも問題である。後ろに回せば他の者に先に釣り取られる危険性がある。こうして登場したのが場札を選んで手札で釣り取るフィッシング・ゲームであり、この遊技法の生誕は、絵合せかるた史上で最も画期的な遊技法の変化であり、遊技者の戦略として「選ぶ」という要素が初めて入り込んだ。この新事態を分かりやすくするために、今日でも理解しやすい花札の例で説明しよう。
例えば場札に「紅葉に鹿」の札と「紅葉に短冊」の札が出ているとする。自分の「取り番」で手札に「紅葉のカス札」を持っていれば、どちらかを釣り取ることができる。その際には、「猪鹿蝶」の「でき役」を狙う戦略なら「紅葉に鹿」の札を釣り取るし、「青短」の「でき役」を狙う戦略なら「紅葉に短冊」の札を釣り取る。他者の「でき役」作りを妨害する戦略ならば、「猪鹿蝶」の「でき役」を不成立にするには「紅葉に鹿」を妨害的に釣り取り、「青短」の「でき役」つくりを妨害するには「紅葉に短冊」の札を釣り取る。あるいは、場札に「松に鶴」の札と「桜に幔幕」の札があるとする。手札に「松」のカス札と「桜」のカス札が両方あるとき、「松桐坊主」の役を狙うなら「松に鶴」を釣り取るし、「花見で一杯」の役を狙うなら「桜に幔幕」を釣り取る。
このように、一つの紋標が四枚の「合せかるた」では、合せる札は運命的に決まっているのではなく、戦略によって選択されるのである。それは、「春過ぎて」の札は「衣ほすてふ」としか合されない歌かるたや、「犬も歩けば」の札は必ず「棒にあたる」と合される譬えかるたとは「合せ」の意味が違うのである。複数の候補の中から合せる札を選択する基準は「でき役」を巡る戦略であり、お互いに「役」が不成立の時は釣り上げた札の固有の点数を数えて、その多寡で勝敗を判定する。有利な時は勝利を狙い、不利な時は挽回を願い、大きく不利な時は有望な相手を安い勝利に誘い込むことでダメージを避け、後続の回での挽回を狙う。こうした戦略性にマッチング・ゲームの中でのフィッシング・ゲームの醍醐味があり、それは二枚絵合せかるたの遊技では味わえない新しい興奮であった。
だが、四枚絵合せかるたの遊技法には、確かに貝覆、二枚絵合せかるたから受け継いだゲームの特質もある。それはすべての札を使い切るまで遊技が続くということである。海外から伝来したカルタの遊技法には、ゲームの途中で勝敗の帰趨がはっきりと見えた場合はそこでゲームを終了にするものがある。読みカルタの遊技はその典型で、参加者の一人が手札を払い尽したらその時点でゲーム終了である。かぶカルタの遊技でも、参加者のうちの誰かの手に「四一(しっぴん)」ができればその瞬間にゲームは終わりである。その遊技者の後に順番が予定されていた参加者はノー・チャンスで敗退である。もちろん、トリック・テイキング・ゲームのように最後のトリックまで行う遊技もあるから必ず中途で終わるとは言えないが、勝負が見えているのに続けるけだるいゲーム展開は避けられる。日本式の歌合せかるたの遊技でも、源平戦はどちらかが手元の札を取り尽したらその時点でゲーム・オーバーである。一方、絵合せかるたの遊技では、ゲームは最後の一枚まで行われ、最終的に各人が獲得したカードの枚数や点数の合計で勝敗を競うことになる。遊技の基本的な性格は、伝来のカードの遊技の様なゼロサムの取り合いの戦いではなく、各人の取り分、収穫の競い合いなのである。この事情をあまり一般化して説明するのは危険であるが、自分の領地や財産のすべてを賭けて戦場でゼロサムの戦いを行い、敗者は戦死してすべてを失い、勝者が領土も領民も富もすべてを獲得する戦国の武士や、狩りに出かけ獲物に矢を射て的中させた者や漁に出て魚群を見つけた者がそのすべてを独占的に獲得する狩猟の民や漁業の民の生活様式よりも、同じ様な数の牛や羊を放牧してその生育の良し悪しを比べ合う牧畜の民や、同じ程度の面積の田畑を耕して出来高の良し悪しを競い合う農耕の民の生活様式に親和する発想であると思う。日本のかるた遊技にとくに顕著な、この、競い合うのであって戦い合い、奪い合うのではないという貝覆以来の伝統的な性格は、日本の文化的な伝統がここでも継承されていることを意味する。