以上、とりあえず、何点かの実例をもって「芝居遊びかるた」の存在を疎明できたと思う。従来、かるたに芝居の絵や言葉が登場すると、俗な解説者からそれは「いろは譬え合せかるた」の「亜流」で芝居を画材にしたバリエーションに過ぎないと説明されてしまい、芝居遊びのかるたというジャンル、グループは認識されてこなかった。だが、それは遊技史に関する無知であり、ここに示したように、「芝居遊びかるた」は江戸時代初期(1603~52)の「舞台芸能絵合せかるた」に発祥して脈々と受け継がれ、変化しながら発展し、往時の遊具「いろは譬え合せかるた」の範囲をはるかに超えて有力に存在していた。それを江戸時代の文化史の中に正しく置いて見てみると、子ども向け「いろは譬え合せかるた」のような傍系の遊戯具よりもはるかに中心に近い大人、とくに大人の女性向けに考案され、発行されていた遊技具であったことが明らかである。

今回もっとも意を尽くしたのは、江戸時代の人々の気持ちや考え方を虚心に見て、それをもとに、俗な解説者による不当な軽視を覆して「芝居遊びかるた」の復権を果たすことであった。私はそれほど熱心な歌舞伎ファンではない。新旧の歌舞伎座には時々通っているし、国立劇場で文楽を楽しむこともある。最近は新内などの俗曲も面白いと思っている。だが、役者の演技の良し悪しもよくは分からないし、自分が見た舞台であっても配役の名前もあまり覚えていない。江戸時代の江戸っ子にはとても顔向けできないこの程度の軽薄なファンであるが、それでも、今回「芝居遊びかるた」を研究する際には、以前の観劇の体験がつなぎになって大きな判断を誤らないで済んだのではないかと思っている。今回も、論拠を個々に明らかにしたうえで、江戸時代の人々の気持ちや考え方を虚心に見て、「芝居遊びかるた」の遊技に見出した喜び、楽しみをあるがままに紹介したつもりである。象が豚の亜流であるとするような従来の俗な考えはどこまで改まるのか。その成否は受け手の側の判断にゆだねることになる。

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