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(一)「古筆切」、「古筆手鑑」、「歌仙手鑑」の流行

江戸時代前期に歌人画像付きの百人一首かるたが考案され、人気を得て普及したが、その基になったのが、世阿弥光悦筆の『三十六歌仙』画帖、角倉素庵筆の『百人一首』画帖、尊圓流の筆の『尊圓百人一首』などの長方形の「歌仙手鑑」である。当時の日本には、満州族という異民族支配を嫌って難民となってやってきた、長江沿岸地域の工芸職人が多く、さまざまな面で日本の工芸技術に飛躍、発展をもたらしたが、木版印刷もその一つで、この時期に、従来の活字型の小型の版木ではなく、山桜の横板一枚に文字と絵を彫りこんで一度に摺り上げる板目木版の印刷が始まった。「歌仙手鑑」はそうした最新技術を応用した新商品であった。

日本には、それ以前から、正方形に近い色紙に和歌とその歌人像を表現した、手書き、手描きの「歌仙絵色紙」があった。そして、もう一点、「古筆手鑑」と呼ばれた、平安時代などの古筆切を集めて一冊にまとめ、それを鑑賞し、模倣する書道の手本として成立している書物もあった。こうした事情を理解するために、少しく「手鑑」[1]というものにこだわってみたい。

『古筆手鑑』③
『古筆手鑑』③

『古筆手鑑』②
『古筆手鑑』②
『古筆手鑑』①
『古筆手鑑』①
(架蔵、江戸時代初期)
古筆切
古筆切
(右:本阿弥切・伝小野道風筆、『見努世友』、
左:本阿弥切・伝小野道風筆、『藻塩草』

この「古筆手鑑」が成立した前提として、まずは「古筆切」があった。古筆切は、安土桃山時代に流行した茶席の設えの一部であり、それ以前は床の間の掛け軸に中国の文字や絵が尊ばれていたのであるが、この時期に、それに代えて、平安時代、鎌倉時代の書の名人による書跡を断裁して軸に仕立てたものを飾ることが流行するようになった。平安初期の三筆(嵯峨天皇、空海、橘逸勢(はやなり))、前期から中期の三蹟(小野道風、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり))や紀貫之、藤原公任(きんとう)らの書ないしこの者たちの書風に倣った書跡が特に人気を得た。その後の時代では、藤原俊成や藤原定家の書も人気があった。

この「古筆切」の流行に次いで、大名や公家の間でも、そういう断簡を集めて一冊の折本にまとめ、身近に置いて鑑賞し、書道の精髄を学び、自分の書道の修行での手本とすることが始まり、教養好きの裕福な町人もそれに倣うようになった。それが「手鑑」である[2]。「手」は手跡、「鑑」は手本、つまりは書道の手本であるから、上級階級の女性の嫁入り道具に一冊を持たせて、実家が嫁入り前に書道の修練をしっかりとさせてきたことの証にするし、嫁入り後も修練を怠らせないという実家の意向を示すことにもなった。この慣習を町民の婚礼でも真似するようになったので、手鑑の需要は爆発的に増え、その需要に応えるために古くから伝わっていた多くの歌集や物語、消息などが切り刻まれて破壊された。また、切断した古筆切、それを集めた手鑑については、江戸時代初期(1603~52)の京都では、鑑識眼が優れていて、以前に豊臣秀次から「琴山」の号と金印を授与されて「古筆」の姓を名乗ることも認められていた古筆了佐(りょうさ)の店(店名は麩屋)で扱われていた。「手鑑」の流行に伴い古筆の鑑定における了佐の名声は広く伝わり、その鑑定結果を示す「琴山」の「極札」は権威ある保証文書となっていった。

『歌仙手鑑』
『歌仙手鑑』(架蔵、江戸時代前期)

一方、手書き、手描きの「歌仙手鑑」はこうした「古筆手鑑」とは少し異なる。それは、江戸時代前期(1652~1704)に、寛永の三筆(近衛信尹(のぶただ)・松花堂昭乗(しょうじょう)・本阿弥光悦(こうえつ))や公家の中院通村(みちむら)などの同時代人の名筆に和歌本文の揮毫を求めて、あるいは多くの公家の寄合書を得て、それに歌意図なり歌仙絵なりを添えて一冊にまとめたものであり、鑑賞用ないし書道教材としてはこの時期の新企画の製品である[3]。この場合も、筆跡の鑑定は古筆了佐とその後継者が行っていた。そして、こうした「歌仙手鑑」は、色紙形ではなく縦長の長方形のものとして成立しているが、それは同じく長方形の歌人画が付いた『光悦三十六歌仙』のような版本の「手鑑」の社会的流行の影響を受けたものと考える余地が十分にある。


[1] 木下政雄『手鑑』(『日本の美術』第八十四号)、至文堂、昭和四十八年。別府節子「古筆手鑑―様々な手鑑の特徴と味わい方―」『古筆手鑑』、出光美術館、平成二十四年、六頁。

[2] 名児耶明「筆跡の鑑賞と手鑑」『古筆手鑑と画帖の名品―近世日本のアート・アルバム―』、サントリー美術館、平成十三年、六頁。三戸信恵「卓上の美術館―手鑑と画帖の世界」、同前、一二〇頁。

[3] 三十六歌仙や百人一首の歌集の版本が女性教育のための啓発書及び書道手本として機能していたことについては、藤田洋治「百人一首版本二種―『七宝百人一首』と『花鶴百人一首銭箱』―」『東京成徳短期大学紀要』第二十四号、東京成徳短期大学、平成三年、●頁。千艘秋男「三十六歌仙絵の資料二種―かるたと版本と―」『東洋学研究』第四十二号、東洋学研究所、平成十七年、一頁。

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